カワセミは中国の詩にも屢々出て参ります。
きょうは、楚の屈原の「東君」です。高杉晋作の漢詩にも「屈平」として出ています屈原は
”中国戦国時代の楚の政治家、詩人。姓は羋、氏は屈。諱は平または正則。字が原。
春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き踊らされよう
とする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した” とありま
すが、屈原の死を悼んで、竜船競争や粽と云ったものが今でも伝えられています。今日の
中国にはカワセミはいないだろうと思っていましたが、2年前山東省の大明湖でカワセミの
写真を撮ることが出来ました。済南市の大明湖は、泉城とも呼ばれ清らかな水が湧出しま
す。それで、魚も棲みカワセミも生存しているのですが、屈原の紀元前3世紀頃の詩にも
カワセミが出ているので、今日まで幾多の困難を乗り越えて生存し続けている事に対して
尊敬せざるを得ません。
《2015.10.24 周南市 東郭》

《EOS70D 1/2500ss f 5.6 +1 iso6400 F=300.0㎜ EF70-300㎜ / 周南市西光寺川》
九歌·東君(楚辞·屈原)
暾将出兮东方,照吾槛兮扶桑
暾(とん)として將に東方に出でんとし、吾が檻(かん)を扶桑(ふそう)に照らす
抚余马兮安驱,夜皎皎兮既明
餘が馬を撫して安驅すれば、夜は皎皎(こうこう)として既に明らかなり
驾龙辀兮乘雷,载云旗兮委蛇
龍輈(りょうちゅう)に駕して雷に乘り、雲旗を載(た)てて委蛇たり
长太息兮将上,心低徊兮顾怀
長太息して將に上らんとすれど、心は低徊して顧(かへり)み懷ふ
羌声色兮娱人,观者儋兮忘归
羌(ああ)聲色の人を娯ましむる、觀る者憺として歸るを忘る
緪瑟兮交鼓,萧钟兮瑶簴
瑟を緪(こう)し鼓を交へ、鍾を簫(う)ち簴(きょ)を瑤す
鸣篪兮吹竽,思灵保兮贤姱
箎(ち)鳴らし竽を吹き、靈保の賢姱(けんか)なるを思ふ
翾飞兮翠曾,展诗兮会舞
翾飛(けんぴ)して翠曾し、詩を展(の)べて會舞す
应律兮合节,灵之来兮敝日
律に應じて節に合すれば、靈の來ること日を蔽ふ
青云衣兮白霓裳,举长矢兮射天狼
青雲の衣白霓の裳、長矢を舉げて天狼を射る
操余弧兮反沦降,援北斗兮酌桂浆
餘が弧を操(と)りて反って淪降(りんこう)し、北斗を援りて桂漿を酌む
撰余辔兮高驼翔,杳冥冥兮以东行
餘が轡を撰(も)ちて高く駝翔(ちしょう)し、杳として冥冥として以て東に行く

《EOS70D 1/2500ss f 5.6 +1 iso5000 F=300.0㎜ EF70-300㎜ / 周南市西光寺川》