高杉晋作 漢詩  | 周南市 東郭の世界

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高杉晋作像
 
 
 
 
與奇兵隊諸友酌酒於滴翠樓上
 
奇兵隊諸友と酒を滴翠楼上に酌む
元治元年八月
 
醉中偶成

從別赤關同志群      赤関同志の群に別れてより
單身踏破萬山雲   単身踏破す萬山の雲
豈圖詩酒話時事   豈図らんや詩酒時事を話さんとは
滴翠樓頭又遇君      滴翠楼(てきすいろう)頭また君に遇う
嘗與諸君游馬關      嘗って諸君と共に馬関に遊ぶ
由來心事更無閑   由来心事更に閑なし
快哉今日一杯酒   快なる哉今日一杯の酒
醉眼猶迷文字山      酔眼猶迷う文字の山


【語句解説】

赤關(せきかん)→赤間ヶ関
 
滴翠樓(てきすいろう)→酒楼
 
馬關(ばかん)→下関
 
文字山(もじのやま)→門司の山
 
 
 
【東郭解譯】

高杉晋作さんは、元治元年6月21日野山獄から自宅謹慎の身となりました。
 
8月3日には、罪を赦されて長州藩手当用掛を命ぜられ、翌日には山口政事堂で連合艦隊と
 
の和平交渉役に引き立てられます。そして8月6日には、藩命により下関に入ります。
 
なんという急展開な身の上なんだろうと思います。赤関の同志の群れとは奇兵隊結成の
 
同志なのでしょうが、別れて「単身踏破す萬山の雲」とは、来島又兵衛説得から京へ飛び、
 
野山獄に押し込められました。野山獄では、死をも覚悟していましたが、罪を赦されて
 
使命を与えられた今は、心機一転 単身踏破と云っています。晴れて無罪となり、嘗って
 
盟友に滴翠楼(※実在不詳)頭で出会った時の気持ちも分ろうというものです。
 
長州藩は既に、池田屋事件で吉田稔麿を失い、禁門の変では久坂玄瑞や来島又兵衛たちを
 
失くしています。下関戦争の連合艦隊との講和交渉の適任者は、高杉晋作しかいないと
 
決断したのだと思います。結果的には、この講和は賠償金300万㌦要求を幕府へ廻し
 
彦島租借を断固断ることで連合艦隊側は納得し、下関海峡の航行を了承したことで
 
決着しました。ところで、滴翠楼とは何処なのか?、君に遇ったの君とは誰なのか?
 
探し出せませんでした。憶測ですが、下関に行って早々”一杯呑むか!”と滴翠楼前に
 
いくと”大場伝七”にばったり遇ったのではないでしょうか?
 
まあ、それはそれとして、何十年前の旧友にばったり遇ったりすると、積もる話も山ほど
 
って迷酊(酩酊)して門司が文字になったり、文字が門司だったりしても少しも不思議で
 
はありません。                  《2015.10.14 周南市 東郭》