資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

 

 三重県四日市市生桑町にある、千福寺(せんふくじ)です。



 天平8年(736年)、行基菩薩が聖武天皇の勅命によって建立した長松山永代寺が前身といわれています。度重なる興亡を経つつ、明治維新後、伊勢二見村の密厳寺の定峯和尚が、廃仏毀釈による焼き討ちに遭うところを、寺宝の毘沙門天立像を背負ってこの地に逃れ、御堂を再建して像を安置しました。

 その後、また廃寺となってしまいますが、昭和33年(1958年)大和信貴山の四日市別院千福寺として再興し、昭和52年(1977年)には新本堂が建立されました。ご本尊の毘沙門天立像は、県有形文化財に指定されています。

 

毘沙門天立像

  毘沙門天は、多聞天とも呼ばれ、四天王の1人として北方を守護する仏教の神です。鎧をまとい、宝塔を捧げるのが一般的な姿です。この像も右手に戟(げき)をとり、左手に宝塔を捧げ、腰を左に捻って左方を向き、右足を上げて邪鬼を踏んで立っています。東大寺南大門の金剛力士像製作で知られる運慶が製作した神奈川・浄楽寺の毘沙門天像の形式にならったものですが、量感よりも軽敏さが強調され、製作年代は、浄楽寺像よりも下がって13世紀中頃と考えられます。四日市の鎌倉時代彫刻を代表する像です。

 


 写真は、境内に祀られている弘法大師像が描かれている子宝、安産のお守りです。