資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

奈良県高取町壺阪にある、南法華寺(みなみほっけじ)です。
一般には壺阪寺(つぼさかでら)の通称で知られる西国三十三所第6番札所です。
創建は文武天皇大宝3年(703年)法相大徳弁基上人の開基で、長谷寺とともに古くから観音霊場として栄えた名刹です。
36堂60余坊の大伽藍も、4回の火災で焼失し、現在の建物は文政10年(1827)に建立されたもの。三重の塔は礼堂と共に、国の重要文化財に指定されています。
本尊は千手観音で、「日本感霊録」のなかにこの壺阪観音の信仰によって開眼されたという説話があり、これをもとに浄瑠璃「壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)」が創作され、一躍有名になりました。
絵馬は、壺坂霊験記をもとに作られました。沢市とお里が仲睦まじく並んでいます。
以下は、壺坂霊験記のあらすじです。
『盲目の沢市は、妻のお里が明け方になると出掛けていくのに気付き、男ができたのではと疑い妻を問い詰める。
お里はこの三年間、沢市の目が治るようにと壷阪寺の観音様に願掛けに行っていたと打ち明ける。
邪推を恥じた沢市は、お里とともに観音詣りを始めるが、目の見えない自分がいては将来お里の足手まといになると考え、満願の日にお里に隠れて滝壺に身を投げる。
夫の死を知り悲しんだお里も、夫のあとを追って身を投げてしまう。二人の夫婦愛を聞き届けた観音の霊験により奇跡が起こり、二人は助かり、沢市の目も再び見えるようになります。』