善知鳥峠 | 信州の峠を歩く

信州の峠を歩く

大人の遠足

テーマ:
イメージ 1

長野県のほぼ中央 塩尻市の上西条と 同市 北小野を結ぶ国道153号線上にある標高889mの峠。 江戸時代から石灰岩の産地で 北側の斜面にその山肌が見える。 峠頂上は分水嶺となっており 降った雨は  南側は天竜川をへて太平洋に 北側は犀川-信濃川をへて日本海に注ぐ。 分水嶺ゆえに 峠頂上が町村境と思いきや 実は塩尻市の境界は 峠を越えて旧小野宿の手前まで辰野町側に大きくくいこんでいる。


「ウトウ」の名の由来は 空洞(うとう)地形からきているものと思われるが 現在の「善知鳥」表記は主に明治になってからの事で 江戸時代には「宇籐」の表記がされている。


律令の時代(700年頃) 神坂峠から信濃に入った東山道(あずまのやまみち/当時の官道)は碓氷峠へ抜けていたとされるが そのほぼ中央に位置したのが善知鳥峠である。  江戸時代には中山道の塩尻宿と三州街道の小野宿を麓に持ち この2つの宿場を結んで賑わいをみせた。また 伊那で発生したと云われ 三州街道沿いに発達した中馬交通は 塩尻宿を起点としており 多くの荷駄が峠を越えている。


この峠は南側に緩く 北側に険しい地形となっており 南側は緩やかな勾配でほぼ一直線な道に対して 北側は急斜面のつづら折りの道となっていた。明治に入ると 県道に指定された峠道は明治31年 路線変更と新道開削により車道化された。(後に国道に指定) また 明治39年には 直下に国鉄の善知鳥山トンネルが完成している。 難所として急カーブの連続する北側の車道は 冬期間 路面凍結による交通事故が多発した。これを解消する為 昭和46年に全面改修工事が施行され 快適な車道に生まれ変わって 現在では峠越えのストレスを感じさせない程である。


現在の峠頂上は 以前あったドライブインは閉店されたようで その隣に分水嶺公園(昭和49年完成)がある。公園内には峠の記念碑と案内板・東屋があり 奥には分水嶺を模して 南北の二手に分けた水路がモニュメントとして設置されている。 旧道は 今日は正確に辿る事は出来ないが 現峠(車道の峠)の東の山際に沿って南側(辰野町側)へ下る草道に わずかにその名残がある。旧道沿いには馬頭観音が多く かつての中馬交通の繁栄ぶりを物語っている。


【写真は 頂上近く 旧道沿いの馬頭観音群】


〖注〗「三州街道と中馬」-----中山道の塩尻宿と東海道の(三河)岡崎宿を結ぶ街道。「伊那街道」とも呼ばれる。 農民達の自分の持ち馬による駄賃稼ぎから発生したという手馬(交通)は 海上や河川交通に依存できない山間地域を中心に発展し やがて中馬制度として 江戸~明治初期の信州の地域経済に大きく貢献した。

AD