関流の鉄砲と赤サビ落とし | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

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 福島県の北部にあった相馬中村藩は,三代藩主忠胤公の時に軍制改革を行い,御流儀鉄砲を関流砲術と定めた。御流儀鉄砲とは,藩のお世継ぎが習う砲術のことである。

 

関流砲術 十匁筒演武

  

 昨年私は,相馬中村藩のお抱え鉄砲鍛冶の神尾九右衛門宗政が作った関流の火縄銃を譲り受けた。しかも口径13ミリの小口径の三匁火縄銃で,とても珍しい品物だ。私の手元に来た時は,銃身が酷く錆び銃床には数か所の欠けやヒビがあった。私は数日かけてこれを徹底的に整備した。

 

譲りうけ直後の関流三匁火縄銃

 

整備後の関流三匁火縄銃

 

   一番気を使ったのは,銃身の赤さび落としだった。日本の火縄銃は,作ってから数年後には黒サビで真っ黒くなるよう表面加工されている。鉄を腐らせる赤サビが生じないようにするためである。つまり錆びないために錆びさせるのだ。

  銃身の整備は,赤サビを落とし,黒サビは残すよう慎重に作業しなければならない。鉄砲の状況により,この作業には十時間以上かかる時だってあるのだ。