CwWに行く前から思っていた。彼女がいたことは、なんて幸運だったんだろうと。
彼女。今回一緒に行った倉敷の友人。羽生くんのファン。
そもそも、一人で羽生くんの凱旋公演に行く勇気なんてなかったというか、彼女がいなければ行こうとすら思わなかっただろう。

そしてそれ以前、ブログ書きはじめる前から、彼女の存在は私にとってお守りだった。
いや、羅針盤かもしれない。

ネットに入って、ファン同士の対立感情を知った。実際に、羽生ファンが大輔さんを悪し様にいう言葉も、大輔ファンが羽生くんを悪し様にいう言葉も読んだ。
そして、「羽生くんも大輔さんも好き」という人間(しかしどちらかというと羽生くん贔屓)の言葉の中に看過できない言葉があったりして、関係を解消することになったことも二度ほどある。
(なんだかんだこの件の人が一番今でも腹が立つ…。だから私は、むしろ「〇〇ファンです」とはっきり言う人の方を安心するようになってしまった。)

そして。困ったことに羽生くんの演技は、私の好みからだんだんとズレて行った。
正直に書くとアンチと思われかねないよな…と思いつつ、私はときどき羽生くんのことを書き綴った。だって、アスリートとして見たとき、今のフィギュア競技シーンでこれほど面白い人はいない。

私はF1を観ていたときはシューマッハ贔屓だったけど、彼の人格にはまったく思い入れがなかった。
ただレース展開を作り出す力とか、車のライン取りの見事さとか、チーム統率能力とか、この人見なくて何見るの、という極めて面白い、興味深い人物だったから中心に見ていただけである。
私にとって羽生くんというのはそういう存在で、プラスルックスが好み(笑)だったから、常にチェックしなくてどーするの、だった。

とはいえ、大輔さんやそのファンを不当に貶める言葉に、羽生くんのファンに対し「この…」と思うことも当然あり。大輔ファンからの羽生選手批判に感情的に同調したくなることもまた多かった。やはり感性似てるからこそ同じ人のファンなんだし。
そういうときのお守りが彼女だった。



もう四年以上前。
2013全日本が終わって、ソチ五輪出場が決まった後、「高橋大輔、応援よろしく。」と、私は唐突にメールをした。
遠方の彼女とは、やり取りがそう多いわけじゃない。私がソチシーズン、フィギュアを興味津々でテレビ観戦していたことすら彼女は知らなかったんじゃないかな。
ただ、お互いに唐突に自分の趣味話をしても笑って受けてくれる、そういう関係だった。
そしてその返事は「『パリの散歩道』の羽生くんもよろしく。」だった。
そのときまで彼女もまた、フィギュアに興味持っていたことは知らなかった。

で、それから何度か電話でフィギュア話に花を咲かせて、それはとても楽しかった。
元々、かなり趣味も考え方も違う。その違うところをむしろ面白がる付き合いだったのだ。
それが、私の原点だった。フィギュアスケートが楽しい、だけでなく、それについてやり取りすることは楽しい、という気持ちの原点。だからネットで不愉快だなーと思うことが何度かあっても、私は最後はそこに戻った。

彼女が美しいと思うものと、私が美しいと思うものは、違う。
違っていても、私にその美しさが分からなくても、彼女にとってそれは大事なものであり、その思いに不純なものはない。

ずっと、そう信じていたし、これからもそうだと思う。



CwWの公演を観た後、「明日、羽生くんは何をやるかね。」という話になった。
「ロミジュリかな。そういえば会場でまったくロミジュリの音楽がかかってなかった。間違いない。」そう彼女が話すのを聞いて、「あー、明日当選の方が良かったかな。」とちらっと思った。

しかし、三日目のトークの話を聞いたら、「いや、私あの場所に居なくて良かった。」としか思えなかった。
あそこに、私のような人間を敵視する人たちもいたことは知ってる。だから羽生くんのトーク聞いたら、間違いなく辛くなったと思う。
もちろん私がそういう属性の人間ということは、ばれたりしないはずだ。何せ結構ノっていたから。私は元々、よく知らないアーティストのコンサートでも行く、コンサート鑑賞が趣味の人だったのである。だからまったく抵抗なく楽しんでいたのだ。
「羽生くんのファンじゃないのかも」と思われることはあっても(さすがにファンの方ほどの熱量を羽生くんに対して出せない)、「スケオタさん」で通っていただろう自信はある。

しかしあんなトークに直面したら、自分自身の気持ちとして、辛くなった筈。あ、辛いというのは、別に悪いことした、という方向にじゃないよ。「そういうけど、そちらさんの側だって相当とんでも発信してたじゃない」という反発心が湧き上がる方向にである。



でも。
「ロミオとジュリエット」の後のトークだったんだよね、と気が付く。
対立が、不毛で不幸な結末を迎えた物語を、羽生くんはトークの背景に選んだのだ。
だから、「これ以上の対立は求めない」そういう意味だろう、と私は思った。



しかし、ライブビューイングで羽生くんのトークを聞いたファンではないある人がブログに感想を書いたら、「ファンじゃない人間が言うな」とか「愛情なく語るな」とか言われている様子。
あの、お金払ってみているならお客さんだし、お客さんなら批判を含めて語る権利があるんじゃないだろうか(私の上の文章は問題あるけどさ、又聞きだから)
と、いうより、この人は「ロミオとジュリエット」に置けるロレンス神父みたいな、貴重な人なんじゃないの?
勿体ない、と思ったのである。



ロレンスの言葉すら聞けないのなら、対立する家の人間(?)である私の言葉なんて伝わるはずもない、と思ってふと連想する。

そっか、私と倉敷の友人の関係は、「ロミオとジュリエット」ならぬ「ウエストサイド物語」の、アニタとマリアみたいだな、と。
ジェット団とシャーク団、どちらが悪い、なんて関係ない。
私にとっては、ベルナルドが一番大事、である。

しかし、可愛い妹分マリアが本気でトニーという男を思っているなら、それはやっぱり大事にしたいじゃないか。


(さすがにここに羽生くんの画像貼るのは…トニーと似てないからやめておきます)

倉敷の彼女は私の同級生で妹分じゃないけど、フィギュアの知識については私の方が一応あるので、この件では少しばかり姉妹的なのだ。まあ、そんな気分だったわけかな、と。


「ウエストサイド物語」と違って、私たちのベルナルドもトニーも生きているのだ。
あ、トニーは危なかったようなこと言ってたと聞きましたが、しかし、トニーこそ物語では一番争いたくない人だったわけだし。
こっちのベルナルドは物語と違って、氷の上以外では人と対立したくないタイプである。



ベルナルドもトニーもいて、マリアもいる。
私は「ウエストサイド物語」より、幸せな世界にいるのである。

<追記>
しまった。忘れてた。アニタは結局、トニーが死のうとするきっかけを作る人だった。
まあでも、それでもいい。そもそも恋人のベルナルド殺しているのトニーだし。私自身、きれいな方だけにいるという人間じゃないし。
それでも、マリアはマリアで好きというのもまた確かなことだしね。