【大阪国際女子マラソン】
26日午後0時10分号砲 歴代3女王が最終調整
2014.1.25 17:23

第33回大阪国際女子マラソン スピード練習を行う重友梨佐=25日午前、大阪市中央区(志儀駒貴撮影)
 今秋のアジア大会(仁川=韓国)の代表選考会を兼ねた「第33回大阪国際女子マラソン」(日本陸上競技連盟、産経新聞社、関西テレビ放送など主催、日東電工協賛)は26日、大阪市東住吉区の長居陸上競技場発着の42・195キロのコースで行われる。スタートは午後0時10分。大会前日の25日は、現役ラストランを迎える赤羽有紀子(34)=ホクレン=や復活を目指すロンドン五輪代表の重友梨佐(26)=天満屋、大会連覇を狙うタチアナ・ガメラシュミルコ(30)=ウクライナ=ら有力選手が選手村が入るホテルニューオータニ大阪(同市中央区)周辺で最終調整に汗を流した。大阪城公園東側から長居陸上競技場までの21・0975キロを走る「2014大阪ハーフマラソン」も同時刻にスタートする。

【大阪国際女子マラソン】
赤羽、引退前の〝晩餐〟うな重「ワンランク上げてもらった」
2014.1.25 17:31

第33回大阪国際女子マラソン 練習前にストレッチをする赤羽有紀子=25日午後、大阪市中央区(志儀駒貴撮影)
 ラストランに臨む赤羽は「しんみりした気持ちが少し出てきた」と話しながらも、体の状態を確かめるように朝と昼にしっかりとランニングで調整。「思ったよりいい感じで走れました」とホッとした表情をみせた。炭水化物を多く取るために、前日の夜はパスタを3人前ほど平らげたという。大会前日の晩ご飯は「うな重」と決まっているが「最後なのでいつもよりワンランク上げてくれるみたいです」と“最後の晩餐(ばんさん)”を心待ちにしていた。

【大阪国際女子マラソン】
重友「硬くならずに」と決意新た 見据える自己ベスト更新
2014.1.25 20:28

第33回大阪国際女子マラソン 大会前日、最終調整をする重友梨佐=25日午前、大阪市中央区(志儀駒貴撮影)
 2年前の覇者の重友は「硬くならずに、これまでの練習の成果を出し切りたい」。落ち着いた表情で、イメージのいい浪速路への決意を新たにした。早朝は約1時間のランニングで汗を流し、期待を寄せる天満屋の武冨豊総監督が一緒に走る場面も。午後は、短い距離を走ってスピードを確かめるように練習に取り組んだ。米国での高地合宿から帰国して2週間以上がたち、疲労は十分に回復。体調面での不安はないようで「状態は悪くない。ここ最近と変わらない」とさっぱりした顔つきだった。見据えるのは、2年前の大阪国際でつくった自己ベスト(2時間23分23秒)の更新だ。ここ2年、思うような結果を出せていない26歳の次代のエース。自分の壁を乗り越えることができれば、栄冠が見えてくる。(吉原知也)

【大阪国際女子マラソン】
渡辺「状態は大丈夫」 日の丸照準に一歩目踏み出す
2014.1.25 18:52


第33回大阪国際女子マラソン 「状態は大丈夫」と言う渡辺裕子=25日午前、大阪市中央区(志儀駒貴撮影)
 ピンク色のジャージーに身を包み、練習に姿を現した渡辺。早朝、昼と大阪城公園周辺をランニングし、練習前後には入念に身をほぐした。縄跳びなどで下半身強化に力を入れてきただけに「状態は大丈夫だと思う」と自然に笑みが浮かぶ。自身4度目のマラソンとなる大阪国際は、照準を合わせる来年の世界陸上、そして2016年のリオデジャネイロ五輪に向けた第一歩。“土台作り”の場に「自分の力やレース運びを経験して、次に生かせるようにしたい」と意気込みは強い。5キロを16分50秒目安で先導された昨年は「とくに速くは感じなかった」という。ペースメーカーが置かれない今大会は波乱含みの展開となりそうだが「先頭集団の様子をうかがいながら自分のペースを守って走りたい」と冷静に受け止める。この日の大阪市内は最高気温15度の好天に恵まれたものの、当日は10度前後で小雨がぱらつく可能性も。「今日みたいに温かくなったらいいんだけど…」。ちょっぴり苦手な寒さも克服し、日本のエースに名乗りを上げる。(坂井朝彦)

【陸上】
新谷が現役引退へ 東京マラソン優勝、世界選手権1万メートル5位入賞
2014.1.25 13:20

世界選手権2013の女子1万メートルで序盤、トップを走る新谷仁美=モスクワ
 陸上女子長距離で、昨年の世界選手権(モスクワ)1万メートル5位入賞の新谷仁美(25)=ユニバーサルエンターテインメント=が現役を引退する意向であることが関係者の話で分かった。31日に記者会見を開いて経緯を説明する。新谷は岡山県出身。興譲館高では大阪国際女子マラソンに出場する重友梨佐(天満屋)と同級生で、全国高校駅伝でも活躍。2006年に実業団の豊田自動織機に入り、シドニー五輪女子マラソン金メダルの高橋尚子さんを育てた小出義雄氏の指導を受け、翌年の東京マラソンで優勝した。その後はトラック競技に転向し、12年ロンドン五輪は1万メートル9位。昨年の世界選手権後は右足裏の故障もあってレースから遠ざかっていた。