日本選手権女子5000メートル 絹川が4年ぶり世界切符
2011.6.12 21:32
女子5000メートル 15分9秒96で優勝した絹川愛=熊谷スポーツ文化公園陸上競技場
独走でゴールに飛び込むと、電光掲示板のタイムを見て右腕を突き上げた。15分9秒96は女子5000メートルのA標準を突破する自己最高。「優勝に(世界選手権代表の)お土産がついてきた」。華々しい復活を遂げた絹川が快活に笑った。
宮城・仙台育英高3年だった2007年、1万メートルで大阪世界選手権に出場。スター候補生として将来を嘱望されたが、しばらくしてその名は表舞台から消えた。理由は原因不明のめまい。08年秋から約1年も悩まされ、「地獄を見た」。だが、指導を仰ぐ渡辺高夫コーチの「もう一度、世界の舞台に立つんだ」という言葉を信じ、あきらめずに走り続けてきた。
胸に秘めた思いもあった。北京五輪男子マラソン金メダリストで、母校の先輩であるサムエル・ワンジルさんが先月に急死。訃報に接し「サム先輩の魂を受け継がなきゃいけない」と意を強くしたという。
苦難を乗り越え、4年ぶりにつかんだ世界選手権切符。21歳になったかつてのスーパー女子高生は「韓国の俳優さんやKポップが好きなので、それを楽しみにして走っていきたい」。明るい“絹川節”が久しぶりに戻ってきた。(細井伸彦)
選手情報
フルネーム: 絹川 愛
国籍: 日本
所属: ミズノトラッククラブ
生年月日: 1989年8月7日(21歳)
出身地: 群馬県高崎市
身長: 153cm
体重: 38kg
自己ベスト
3000m: 9分04秒63(2007年)
5000m: 15分09秒96(2011年)
10000m: 31分23秒21(2008年)
2004年、高崎市立中尾中学校3年生のとき、全日本中学選手権で1500mに出場。序盤からハイペースで飛ばし独走するが、ラスト3mでガッツポーズをしているところを抜かれ、準優勝に終わる。
2005年、高校駅伝の新興校である宮城県の仙台育英学園高等学校に入学、渡辺高夫監督の指導を受ける。1年生ながらインターハイ1500mで3位に入った。また、選手層の厚い仙台育英でレギュラーに抜擢され、全国高校駅伝に出場。2区で12人抜きを演じ、話題を呼んだ。
2006年、福岡国際クロスカントリーでジュニア女子6kmに出場し、筑紫女学園高校の野原優子に競り勝ち20分41秒で優勝。この大会は世界クロスカントリー選手権の代表選考会を兼ねており、同選手権女子ジュニア6kmの代表に決定した。
2007年、福岡国際クロスカントリー・一般女子6kmに出場し、シニアのレース初出場で優勝した。タイムは19分56秒。
2007日本グランプリシリーズ第2戦となる第55回兵庫リレーカーニバルのグランプリ10000mに出場。実業団選手が圧倒的多数を占める中、同じく若手の脇田茜らとデッドヒートを繰り広げ、31分35秒27の好タイムで2位(日本人トップ)に入る。これにより、世界選手権参加標準記録A(A標準=31分40秒)を突破し、ワコール所属の福士加代子の持っていた10000mジュニア日本記録を更新。
同年の日本陸上競技選手権大会10000mで3位に入賞し、世界陸上大阪大会の10000m代表に決定。その世界陸上本番レースでは、32分45秒19の14位だった(日本女子トップは福士加代子の10位、脇田茜は15位)。2008年4月、仙台育英学園高等学校からスポーツ用品メーカーのミズノに就職、同年8月開催の北京オリンピック代表も視野に入れていた。しかし、足の疲労骨折を始めとする体調不良に見舞われ、体調の回復に手間取った為、北京五輪代表選考会となる2008年6月下旬開催の日本陸上競技選手権大会を欠場を表明。(これに関しては一部報道で「謎のウイルスによる感染症」と報じられたが、ウイルス説を提唱している主治医が疑似科学(千島学説)の信奉者であり、その後実際にウイルスが検出されたわけでもなく信憑性は低い。[1])これにより、絹川の五輪出場は事実上断念する事となった。
就職以降は体調不良でランニングの練習ができない中、体力作りの基礎トレーニングを主に行っていた。北京五輪の出場を断念したことで目標を失っていたが、その北京五輪女子10000mレースをテレビで観戦し、再度陸上競技への意欲を取り戻す。体調が回復して本格的なトレーニングを再開し、9月に埼玉県で行われた3000mでレースに復帰。10月に新潟で福士加代子と10000mのマッチレースを行い、翌2009年の世界陸上ベルリン大会出場基準をクリアするタイムで福士より先にゴールした。
2009年6月、ホクレンディスタンスチャレンジ札幌大会で女子3000mに出場。旭化成の宗由香利と競り合い、2位でゴールした。タイムは9分22秒68。6月25日の日本陸上競技選手権10000mに出場したが、足の痛みを訴えて途中で走るのを止め、途中棄権となった。
2011年6月12日の日本陸上競技選手権最終日の女子5000mに出場。15分09秒96の自身のベストタイムで優勝すると同時に世界陸上競技選手権の出場標準記録Aを突破し、4年ぶりの世界選手権出場を内定させた[2]。
第13回IAAF世界陸上競技選手権大会
期日
2011年08月27日(土)~ 2011年09月04日(日)
会場
テグ(韓国)
TBS内大会ページ
http://www.tbs.co.jp/seriku/
国際陸連内大会ページ
http://www.iaaf.org/wch11/index.html



