つづき

 

 

2日目

 

朝 一番で くもり

 

維新の湯 温泉

 

そのあと

 

 

岩の湯 温泉 

洗い場のイスも 重い岩でした

 

 

 

竜馬の湯 温泉

 

 

 

おりょうの湯 温泉

 

ハシゴして まったり ブタ

 

 

朝食 お茶

 

ふぐの一夜干し うお座  

おいしかった ビックリマーク

 

 

宿を出発して 萩へ 車

 

 

 

 

松陰神社 お父さん

 

本殿 おばあちゃん

 

 

吉田松陰 歌碑 男の子

 

親思ふこゝろにまさる
  親こゝろ
   けふの音つれ
  何ときくらん
        寅二郎

 

子供が親を慕う気持ちよりも 親が子を愛する親心は

どれほど まさったものであろう 

死なねばならぬ便りを知って 故郷の両親は 

どれほど悲しむことでろう

 

吉田松陰は 萩藩士杉百合之助の次男として生まれ

六歳の時山鹿流兵学の家柄である叔父吉田家を継いだ

その後藩主に認められ 九州を遊歴 江戸に出て

さらに東北遊歴等を行い 識見を高めた

再来したペリーの軍艦で 海外密航を企て失敗

萩の野山獄につながれた 出獄後 実家杉家に

預けられて 松下村塾を主宰し 久坂玄瑞・

高杉晋作・伊藤博文・山県有朋等多くの俊才を育てた

しかし 藩政を批判して下獄 安政の大獄により

江戸伝馬町の牢で刑死した

二十九歳の若さであった

 

 

 

 

 

松下村塾 ダイヤモンド

幕末期に 吉田松陰が主宰した私塾

 

 

 

 

松下村塾で 学んだ

維新の志士たち 馬
松陰は 身分や階級にとらわれず塾生として受け入れ

わずか1年あまりの間でしたが 久坂玄瑞 高杉晋作
伊藤博文など 明治維新の原動力となり

明治新政府に活躍した多くの逸材を育て上げました

 

 

 

 

 

吉田松陰幽因の旧宅 わんわん

松陰は 安政元年(1854)に伊豆下田沖で

ペリー率いるアメリカ軍艦(黒船)に
乗り込もうとして失敗 江戸伝馬町の牢獄に

捕らえられ のちに萩の野山獄に入れられました
その後は 実家である杉家旧宅で預かりの身と

なります

 

 

 

 

 

幽囚室 あせる

松陰が 謹慎生活を送った部屋

松陰は ここで孟子や武教全書などを講じ
次第に多くの若者が 集まるようになり
のちに松下村塾での教育が 始まりました

 

 

 

次は 城下町 あし

 

 

 

木戸孝允旧宅 おやすみ

天保4年(1833) 萩藩医・和田昌景の長男として生まれました

後に 藩士・桂家の養子となり“桂小五郎”の名でも知られています

藩校明倫館に通い 吉田松陰の兵学門下となり 文久2年(1862)藩の

要職に就き京へと出て国事に奔走 慶応元(1865)年 藩命により

姓を“木戸”と改め 翌年 坂本竜馬の仲介のもと薩摩藩の西郷隆盛や

大久保利通らと“薩長同盟”を結び明治維新に尽力 維新後は 

五箇条の御誓文の起草 版籍奉還、廃藩置県などの推進に

功績を残しました

 

 

 

 

 

已後而死 !!

家の柱には
ペンで「已後而死」と落書きされています

意味は 死ぬまで努力し続けるという意味です

この落書きをしたのは 戦いに行く覚悟なのではないかと

言われています

 

 

 

 

 

 

菊屋横丁 ぶーぶー

 

菊屋横町は 江戸時代の町並みが残る城下町を

代表する道で 美しい白壁となまこ壁が特徴

 

 

道中

 

夏みかんが 実っていました クッキー

寒い時期には 糖分が増すそうです

 

 

 

 

 

高杉晋作誕生地 ウインク

 

 

 

 

 

 

初湯の井戸 台風

 

 

「動けば雷電の如く 発すれば風雨の如し」波

と 伊藤博文から評された幕末の風雲児・高杉晋作 

建物の南側半分が公開されており 晋作ゆかりの品や東行と

号した句碑・産湯の井戸などを見ることができます

 

 

 

 

晋作広場・高杉晋作立志像 セキセイインコ黄

 

 

そして

 

 

 

 

 

 

 

明倫館 ビル

享保4年(1719)に5代藩主吉元が 毛利家家臣の

子弟教育のために 萩城三の丸(堀内)に開いた藩校

創建来 萩藩の人材育成の中枢を担い 多くの先覚が

志を立てました

 

 

萩のおみやげは

 

 

光圀本店の

夏みかん丸漬 ゲラゲラ

 

 

昼食は

道の駅 萩往還で

 

 

 

瓦そば 堪能 割り箸

瓦の熱で 茶そばが カリカリに

なり 絶品 もぐもぐ

 

 

 

山県有朋 木戸孝允 伊藤博文の

像も ありました オカメインコ

 

本日の お宿は

 

 

アークホテル岡山 キラキラ

 

夕食は

 

とんかつ和幸 王子駅前店 (北区) の口コミ12件 - トリップ ...

とんかつ定食 牛しっぽ牛からだ牛あたま

 

本日も 爆睡 ぐぅぐぅ

 

 

 

3日目

 

朝食は バイキング メラメラ

 

このあと

 

9時30分 発

2時30分 帰宅

 

 

今回の旅

維新の志士たちと

同じお風呂に 入浴できて

大満足

夏みかん丸漬は 大好物に

なりました 合格合格合格

                 完

山形へ 行きました 車

 

1日目

 

5時 発 星空

1時30分 香山公園 着 晴れ

 

山陽道のトンネル火災事故の 復旧が

遅れているので 中国道を 利用しました お父さん

 

 

瑠璃光寺 おじいちゃん

 

 

国宝 瑠璃光寺五重塔

応永6年(1399年) 応永の乱で戦死した大内義弘の菩提を

弔うため 弟の盛見が建立を計画し 嘉吉2年(1442年)に

建立されました 室町時代中期における最も秀でた建造物と

評され 国宝に指定されています

 

工事中でした ガックリ

 

 

 

 

 

本堂 おばあちゃん

大内家筆頭家老で 代々周防国の守護代をつとめた

陶弘房の菩提寺で 本尊は薬師如来
瑠璃光寺は 文明3年(1471年)山口市の仁保の地に

創建されました

 

 

大内弘世公之像 ハロウィン

中世における西日本の守護大名として勢力をもっていた

大内氏24代の当主 弘世は京の風情を好み地形の

似た山口盆地に 京都になぞらえて町造りをしました
これが「西の京」といわれる山口の町の誕生です
 

 

 

さるすべりの木 トイプードル

猿もすべると 言われるさるすべりの木から 松の木が生えている

大変珍しい光景です

 

 

うぐいす張りの石畳 セキセイインコ青

このあたりで 手を叩くか強く足踏みをすると

うぐいすの鳴き声のような美しい音が 返ってきます

 

 

 

 

 

 

露山堂 お茶

文久3年(1863年)4月 萩藩主毛利敬親は藩庁を

萩から山口に移し 現在の山口県庁のある場所に

政事堂を建てました そのとき 政事堂の近くの

一露山という山の麓に茶室を設け 一露山の一の字を

省いて露山堂と名付けたのが この建物です
敬親は 茶の湯を楽しむふりをして身分

関係なく家来らをこの一室に集め 実際は幕府に

対する謀り事の議論を重ねていました

 

 

 

 

 

          (2階密談の場)

枕流亭 男の子

長州藩の藩主毛利氏が参勤交代時の際に山口の本陣として

使用した山口の豪商・安部家の離れ
 

慶応3年(1867年)9月薩摩の藩士 西郷隆盛

大久保利通 小松帯刀 大山格之介らが山口に

来訪し 長州藩の木戸孝允 広沢真臣 伊藤博文

品川弥二郎らに迎えられました 薩長の藩士らは

枕流亭の階上で 薩長連合の密談をかさね

江戸幕府を 倒すため連合討幕軍の結成を

誓いました

 

 

本日の お泊りは

維新ゆかりの 旅館 アップ

 

 

 

 

松田屋ホテル ビル 

 

ロビーには

伊藤博文より いただいた額 プレゼント

 


「 履信居仁 」

伊藤博文が来泊され旅館業の心得として頂いた扁額

「履信居仁(りしんきょじん)」

松田屋のおもてなしの心の象徴として 今も静かに

見守っている

 

レストランで

 

お茶しました お茶

 

傍には 志士ゆかりの品々

 

 

 

木戸孝允 お父さん

 

 

西郷隆盛 トナカイ

 

 

 

錦の御旗 花火

 

 

 

 

 

坂本竜馬と おりょう 男の子 女の子

竜馬の姉宛ての 新婚旅行報告の手紙

 

 

 

高杉晋作・憂国の楓 にゃー
勤皇派の雄 長州藩・奇兵隊の隊長として名を残した

高杉晋作は 倒幕攘夷の密議画策の場として松田屋に

出入りしていた高杉が 松田屋玄関横にあった楓の幹に

所感を刻み込んだ文字が 大正になって偶然発見され

現在は貴重な歴史的遺物として 松田屋明治維新資料室に

保存されている
 

盡国家之秋在焉(国家ニ盡スノトキナリ)

 

 

 

 

お部屋は 2階 あし

 

 

内風呂は 源泉 温泉

 

 

早速 貸切風呂へ 音譜
 

 

維新の湯 ビックリマーク

維新の湯の浴槽は 徳川幕府末期1860年につくられたもので

当時長州 薩摩、土佐の勤皇の志士 高杉晋作・木戸孝允・

西郷隆盛・大久保利通・伊藤博文・大村益次郎・山県有朋・

井上馨・坂本竜馬らや七卿落の公卿三条実美らが

しばしば松田屋で会合して 倒幕・皇政復古の密議を

したときに入浴使用したと云われる歴史的文化財です

 

 

このあと 日本庭園を散策 足あと

 

司馬遼太郎の 赤松 やしの木

六月十日、山口ニテ雨。アカマツ。と、私の手帳にある。

「アカマツ」とそれだけメモをしてあるのは、この宿の、

おそらく作庭して二百年以上は経ているらしい庭の赤松が、

こまかい雨に濡れて枝もその根方の翠苔(すいたい)も

じつにあざやかであった。その印象を忘れぬためにかいておいた。
  司馬遼太郎「街道をゆく」- 長州路 -より抜粋

 

 

大滝 UMAくん

 

 

池には 鯉 うお座

 

 

 

 

 

南洲亭 コスモス
西郷・木戸・大久保会見所

1867年 薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通・小松帯刀らが
薩長同盟の確認と薩長連合軍による倒幕出陣の
具体的協議のため山口へ来た折 長州藩士の木戸孝允・
伊藤博文・広沢真臣らと共に松田屋へもしばしば来駕し 
会談したと云われています
 

 

桂亭 波

最後に 足湯で

まったりできました !!

 

 

夕食は 部屋食 爆弾

 

食前酒 白ワイン

 

 

前菜 

 

 

トリ貝酢味噌掛け ジンジャーブレッドマン

 

鯛菊菜和え 宇宙人くん

 

牡蠣時雨煮 てんびん座

 

 

 

造里 コッペパン

鯛重ね作り 中トロ 平政

平貝 カマス焼霜 あしらい一色

 

 

吸物 にんじん

海老真丈 紅葉人参 つる菜

 

 

炊合せ バイキンくん

鳥つみれ煮 海老芋オランダ煮

 

 

 

焼物 ステーキ

和牛ステーキ 野菜チップ

 

 

酢物 オッドアイ猫

河豚刺し

 

 

 

御飯 オカメインコ

鯛御飯

 

 

香の物 割り箸

三種盛

 

 

止め椀 鍋

袱紗仕立て

 

 

果物 ぶどう

梨 ぶどう ザクロ

 

 

甘味 メロンパン

いとこ煮

 

とっても おいしかった クラッカー

 

就寝前に

 

風呂|松田屋ホテル|山口湯田温泉/西日本の素敵な宿・高枕(た ...

白柏の湯  (パンフレット)より

 

 

風呂|松田屋ホテル|山口湯田温泉/西日本の素敵な宿・高枕(た ...

白狐の湯  (パンフレット)より

 

長距離運転の疲れを 取り

 

爆睡 ぐぅぐぅ

       つづく

 

 

 

 

 

つづき

 

2日目

 

朝食後 割り箸

 

芭蕉の 奥の細道が

大好きなので ラブラブ

 

「五月雨を集めて早し最上川」

 

を 体験します アップ

 

 

最上川船下り 出発地 船

 

 

 

戸沢藩船番所 ダッシュ

 


 

 

 

水上観光船30選

第一位 拍手

 

 

 

 

 

 

 

船に 乗り

 

船頭さんの ガイド 舟歌を

聞きながら 三度の難所を

越えます 音譜

 

 

滝 発見 ビックリマーク

 

 

水上のコンビニエンスストアは

閉店中 叫び

 

 

 

 

白糸の滝 霧

 

 

50分の船旅 堪能 !!

 

あとは 帰るだけ ぶーぶー

 

行きは 1日で来たけど

帰りは 2日に 分割 ブタ

 

 

本日のお宿は 星空

 

ルートイン妙高新井 ビル

 

お部屋 ひらめき電球

 

今日も 爆睡 ぐぅぐぅ

 

 

3日目

 

朝食 ナイフとフォーク

 

このあと 帰宅 車

 

 

今回の旅

8時間の長距離運転を 

クリアしたので 爆弾

大満足 合格合格合格

 

       完