夏の夜空に花火がきれいに咲くころ、
妻は足を引きずらないと歩けないほどになっていた。
今思えば痛み止めもおそらく僕が知っているタイプのものではなく、
さらに強力になっていたのだと思う。
痛み止めが効いている間は「足の付け根が痛い」とはあまり言わなくなったが、
「足が上に上がらないって感じ」とよく妻は僕に言った。
力を入れても入れても足を上にあげることが難しいそうだ。
病気になる前にはいつもキビキビ歩く妻が、
今はお年寄りの電動車いすに追い抜かれるほど、いつもゆっくりとゆっくりと歩いた。
8月に差し掛かると飽和する状態が続いた。
抗がん剤を打った日から2~3日はほぼ絶食に近い状態、
3~7日で徐々に固形物が入るようになり
7~10日の間はいつも通り元気な妻になるというサイクルを繰り返した。
「このサイクルがずっと続いてくれたらいいのになぁ」とさえ思うほどだった。
妻はいつもこの元気な3日間に妻の予定を調整して入れていた。
古河の花火、妻の両親を僕の自宅に呼んでの土呂の花火、
妻の友人とのランチ、韓国アイドルのライブ。
全てが妻の容態が良い時に予定をうまくコントロールしていた。
秋に近づくと僕は仕事で出張が増えた。職業柄年末が商戦となるので、
秋口は年末に向けての打ち合わせなどで、
いろいろな会社の立食パーティなどに呼ばれることが多いのだ。
僕は家を空けることが多かったが、とにかく僕は妻が心配だったので、
昼食を食べるちょっと空いた時間、
コーヒーを買いに行くというちょっとした時間でも
数秒でも数分でも必ず妻に電話した。
「今日の体調はどないでっか??」とさっきまで一緒にいたのに妻に最初に必ず聞いた。
「今日はなんかしんどいの…」とか「今日はね、調子いいよ?」など
その日によって妻のセリフは違っていた。
妻の病院にはこのころから毎回付いて行って、毎回先生の話を直接聞いた。
妻の様態は良くも悪くも進展なしというイメージだと毎回説明を受けた。
ずっとこのような飽和状態が続いたこともあり
「このまま40歳とかになるまで、ずっとこのままなんだろうな」と僕は勝手に確信してしまった。
ただ、このころの僕たちは妻が癌と闘病中だったが、
毎日ずっと一緒にいて、少し離れても必ず電話をして、
電話ができないときはLINEをして、
普通のカップルではできないくらい、ずっと二人の時間をシェアしてとても幸せだった。
「このままでいいから、ずっとこのままの時間が続けばいいね?」と妻に言うと
妻も「病気だけど、すごく今楽しくて幸せだよ」といつも言ってくれた。
手足が不自由な人がいるように、目が見えない人がいるように、
癌という持病があるだけで、何ら他の人と変わらない…
「どうかこのまま代わり映えしない毎日が来ますように…」と
今日も自宅から見えるジオラマみたいに見える東京の夜景を前に
僕は心の中で毎日必ず祈っていた。

