自箱bookshelfから取り出したNew Testament にくっ付いてきた文庫本にはゴキブリの卵(蛹sanagi?)が乾いて白い殻となって,くっ付いていた。楊枝で剥ぎ落した。表のカバーには白い斑点が付いていた。デザインの一部として不気味に溶け合っていた。

タイトルは,『死ぬための生き方』。え,もう既にmindしていた?!しかも自分で買っていた。図書借り出す慣習始まる前のこと;2008年より前になる?平成20年頃からずっと借りて読んできている<司馬遼太郎全集が始り。そしてその後,間もなく始まる県立図書館通い。旭一中以前から,そのずっと前からだ。覚えているのは退職後,つまり2015年再任用後ずっとだ(今2024年までで約10年間になる。その時点で考えが及んでいるのに欠落させていたのだ・・・ああ・・すぐ補おうと・・カウンターに開き措いた借り書をおいて貪るように古い書を広げる),<なんでそのままにしたんだ!?何をやっているのだ,一瞬に心が跳んだ。いつ買ったのか,まるで覚えていない>printed in 1988と裏表紙。奥付みると平成6年? 第一刷。1994年か? 当時はまだ元号表記が主流だったのか,と旧さを覚えた。<最近西暦年号表記が増えたことを実感する。生年月日ももはや昭和・平成の欄も無し> ともあれ,1988から1994にの間に記述されたものらしい。吸い付くままに文字を追っていた。一夜でほんの数ページ。まだある・・・本来は新約聖書をみることが本命だ。(※翌朝(つまり,今日06/30・・・別記※誤解していた。その晩,夜?にすでに開いていた。就寝したとき,聖書の言葉の偉大さに圧倒されていた…あっという間に眠りについている。「今日の感謝」を頭で三つ数えているうちに・・既に意識は魑魅魍魎となっていたような・・・昨日その夜の内にoverlook/read through a little bit but impressed soon …)

途中にしおりが挟んである。青い,同じ栞スティック。《変わってない様式??!!》そこから,ふたたび?読み足してみた。「たつみりゅうたろう」とある。俳優は,舞台で死ぬのが本命だと言って 同僚の一人が実際舞台で死んだのを目にして観客の思いを按じている。良い思いはしなかったろう,と。そんなことを俳優はしてはいけない,と。劇場での最期の様は,芝居の途中でバッタリ倒れて逝った。観るものの心はどうだったろう。余りに自分勝ってに見える。自殺もそうなのだ。同僚の男優が笑みを残してマンションから飛び降り自殺が一層死に様を見せてはいけない,自殺する,より若者を諌めている。「勝手過ぎませんか」と。(仏さんに恐縮だが,といいつつ) 自殺は「負け」なのだという言葉も載せている。「負けてたまるか」も思潮を表していそうだ。

自分でも,理解できる。生命は誰が与えたものか。目に見えない力,天命である。自分で生を終える資格があるのか。自殺はいけない,と。宗教でも皆同じ。キリスト教でも自殺は決して認めない。仏教でも不殺生と言って戒め,他殺は勿論だろうが,自殺を認めていないと当然のことだろう。日本は自殺が多いという。認める社会,異様だろうか。異文化,米欧文化を観る価値がある。自分は,分っているようで未だワカッテいないのだ,と思う。

 名言を一つ記す。

「(要点のみ引用) 我々の住む地球は大宇宙の中の・・一点に過ぎない。そんな小さな地球の上の,そのまた,瑣末の一点にすぎない我々人間・・・天地の悠久 に比べれば,たわいのないものである。著名な人物をみたところで ひとりよがりの観賞みたいなもの,歴史に名を残すことだって大して差のあるものではない。…そんな社会的評価に支配される必要はない好きなように生きよう。」(14,5才頃に到達した結論で,ずっとその後の人生を送っている,という植松正さんの言葉だった。明治39年生れ 刑法学者 一橋大名誉教授) 無神論,科学主義を徹底させている。易学で鬼門だから中止せよ,と言われても全くブレナイで自分の信念を曲げず我を通している。心臓病さえ寄せ付けず,自然と死因は消滅している。あくまで不動の姿勢を貫くこと。途中フラフラと揺れていたら完成しなかったろう。自分の命じるままに,好きな途を極めている。夜間大学,心理学・哲学,法律学,検事となり,裏で心理学も。他方

墨彩画も。合理的精神。神がかり,新興宗教全く信じず・・・少年前は社を掃除したり,神棚や仏壇への供物の上げ下げを欠かさない,極めて信頼を得ていた小さい頃とは変ってしまった自然主義愛好に。それが↑の結論だった。大宇宙の瑣末な一点に過ぎない,天地の悠久をわすれまい。ここぞ高い観点でスケールが違う。人の評価や人様との比較で生きることの愚かしさよ。それにもつながる・・・・文章を見ていると いつしかいつも 人と比べてモノを判断して来ている。嫉み僻み,嫉妬羨望は見なそうだ。愚痴や瞋恚,貪欲なのも人の成功や裕福なのを,うらやましく思い,それに比べて自分の不甲斐なさを口惜しく思っている。たとえどんなに豊かになって名望を集めたとしてもそれが何だ。天地の悠久に比べたらなんとミミッチイ料簡だろうか。大宇宙の視点,観点をどうつかむか。