(以下は個人的すぎる「愚痴?」とも言える!だが,自分の非難を承知で出す以外ない。なぜなら,実態を知らせたい一心である。)

《もう一つ過去の苦い体験を思い出した。Y S.H.S.での定期考査で数学の試験配付事件である。一枚?だけ紛れ込んでいた,異種の問題。たった一枚の数学問題。まさか別の問題がまぎれこんでいるなど考えられない。なぜ紛れ込んでいたのか探求されなかった。紛れ込ませた作成者は責を追及されなかった。数学科でない,配ったお前がわるい。英語科の問題ならすぐわかっただろう。設問や内容で分りやすい。しかし数学の文字数字は皆似ていたのが並んでいた。全く見た目には分りにくい。それを見逃したと強い調子で難詰されてしまった。若い同じ科の勇ましい青年教師だった。着任して浮ついていた老齢の中堅いや老成された熟年教諭。進路指導もやり,学年主任もしただろう。そんなエライ人がミスをしているのをミスとしないで,配付者の小生は,もっと老衰している再任教諭?非難対象の犠牲者,生贄にちょうどいいはずだったろう。当時,教頭先生は公平になぜ対応してくれなかったのだろうか。私の不在中,誰かからの申し合わせがあったのだろう。一種の意集団イジメにも通じる。パワハラか。私を攻撃する側は皆同じ,一方的な主張,原因究明もせずにまとまって主張してきた。「示し合せ」があったに違いない。全く異議が出ないのか。おかしいのは,間もなく国語科の親しい先生も試験監督で同様の「問題配付でのミス」が明らかになっている。それはもみ消されている感があった。スキャンダルだ。自分の見逃しもある。強く出られない立場にあった。公けにして闘うなど考えられなかった。試験中作成者は見回りに行き担当教科科目の質問をなんでも受け入れられるはずなのにその時の対応はどうだったのだろうか。異教科の試験監督者の責任のみ追及するのがおかしいのではないか,とその後何度も思い出され,公平感の無さに憤懣が残る。

問題が発生したとき,原因究明で,しだいに,誰か悪者を仕立てたくなる。戦争,例えば。何が悪いか,誰が悪いか。原因を探索するうちに,原因となるものを,「悪者」にしてその怒りや憤懣をその見えない敵(対象)を作りだし,そこに集中攻撃する手合いに似ていることを今ごろ書籍で確認された。問題は,こうして生贄をつくることで解消されるのだということを。心理学での事例のひとつでもあったろうに。当時精神分析,心理学児童心理学が流行っていたのか,地区の隣接高の教務主任が履修したこと,研修で頑張っていることを誇っていた。指導に使える心理学。カウンセリング技法。週に一度外から民間人がやってきてクラスに入り込んで特別な教育授業が為されていたものだ。時代を反映していた。

<嫉みや僻み,嫉妬が見える・・・個人的な中傷となる?自分の内にしまっておいたほうがいい>

 

ちょうどH S.H.S.で教務主任とその教頭先生は仲が良く心が通じているようだった。他校の教頭とも連携を取っていた。人脈。贔屓(ひいき)社会は教育現場でも管理社会人脈,人事は 現場の平社員には,あまり知られない上流での動き。校長,教頭,主任として職位に関係するのは,進路指導主任か,生徒指導主任,または教務主任が必須条件。それを知るのは当該年齢になって知る。47歳辺りが境目だろうか。管理職ルートか,窓際族に甘んじるかの別れ目。翌年,校長として転任昇級してきたのだった。なれなれしい教務主任と教頭との仲の良さ。勿論彼はまもなく次のポジションは教頭職のはずだろう。その時私はすでにいない。その分かれ目で彼らの行動を目の前で見てきた。貴重な体験であった。

英語科の仲の良いように振る舞っていた彼は,出世コースの途上で誘いがあっただろう。それを仕組んだのはだれだろうか。学年主任を一回だけやってすぐその後教務主任に就いている。めりめり敏腕を発揮していく。英語科で主任はあまりしていないで,現場での苦労は下のモノに任せウマい登用であった。女性をうまく利用し,私のような古株は遠くに置いて冷遇していた。なぜ私がそれを言えるか。<あの,心の優しい男の先生は私より年上で,顔を真っ赤にして受付の私に挨拶してくれた。気が弱そうな善良そのものの先生でした。一層やり場のない「窓際」感のある先生だった。生徒らに「いじめられたりしていなけりゃいいが」と思われた>

私はY SHSで恩師のO教諭(のち指導主事そして校長。在職中に殉職。別のO2先生もお世話になりました。新しい学校で校長になって勤めていたがPTA生徒指導研修会の場で,私を私的に呼んでその立場の重責,困窮をもらしておられていた。間もなく在職期間中のの逝去を知る。本当に悲しかったO先生は同期であり,一緒に励んだ仲でした>

母校が同じ実習教員免許取得の指導教師であったO先生の話に戻る。先生には格別に可愛がられ,歳が7歳離れた先輩だった。恩師は聞いてきた。年齢は?47歳になります。ちょうどいい。60歳定年は変らない。(その時は余裕がなかったが,今逆算してみると分ること。教頭3年間,校長3年間。44歳頃から管理職コースに乗るかどうかの分かれ目なのだ。3年遅れたら校長職はなくなるカモの瀬戸際だったのだ。この席をめぐる攻防は,時の運。後は人脈,力量が試される。「ひいき(贔屓)」が生きるかどうか。信頼関係がモノを言う。

心理学を学習して発揮していた。「進んでいた」。外国のH大学に研修に行った,その映えの良さで教務の力量発揮で頭角を現していた。教務は職員会議の企画運営情報の源。管理職の校長と教頭そして事務長と常に連繋している。SCHOOL AFFAIRS.(教務)を司っている要職。彼のキャリアは,県教委の支援があるだろう。お墨付きの研修や自己PRしてきている。その上での結果の抬頭であるとわかる。勤務態様。評価をしている。それは管理職の責務。人物評価。もうすでに出来上がって治らない老人教師であった。そういう情報が流されていただろう。管理職同士でツーカーのはずだ。気づかないでノホホンと過ごしてきた。見えていなかった。人間関係を疎んじてきた罰だろう。《こういうと・・分るでしょう。ある先生が年賀状で指摘した。「先生,早く校長になって!と」 翌年年賀状は出さなかった。自分の内面にその欲求があったのだ,おそらく。でも私にはその力や適性がそもそもないことを知っていた。性格は大事です。ペルソナ。血液型ならB型的性格が合っていると思う。データ的にもそれは正しいと思う。辛かった。色々な人がいていいんだよ,という声がhealだったが・・・>

結果,簡単に「生贄」にされてしまったと思われる。そういう力の構図が再任用で見えた体験であったのだと今回顧される。そこを見過ごしてきた自分は何とのん気なココロ持ちか。06.28, 4:38~5:30PM. ---06/30 recheck