①からの続きです
日東第一形勝
正徳元年(1711) 福禅寺客殿に宿泊した「第8回朝鮮通信使」一行は、
対馬から江戸までで、ここからの景色が最も優れているとし
従事官李邦彦(イバンホン)が、「日東第一形勝」の書を残したそうです
この時(第8回)、上官三使は、それぞれ五言律詩を詠みその書を残しています。
その後、鞆の商人によって、木額に仕立てられたそうです。
勅願寺、という事で欄間に付いています。
一瞬、だんだらを来た新選組隊士に見えました
近くで見ると、やっぱり朝鮮通信使なんですけど(笑)
第10回通信使の正使・洪啓禧(ホンケヒ)は、客殿を「對潮楼」と命名。
その子供で、22歳の書家・洪啓海(ホンキョンヘ)が、雄渾の書を残しました。
当時の藩主・ 阿部正福さんは、その書を木額に仕立てたのがこれ
なお、朝鮮通信使は、江戸時代を通して12回来日しましたが
文化8年(1811)の江戸期最後の通信使は対馬で応接しました。
なので、その他の11回の往路・復路は、この鞆の津に寄港しています。
朝鮮通信使の通信とは
「信(よしみ)を通わせ合う」という意味で、日朝両国が
「互いに欺かず争わず真実を以って誠信の交友関」係を築き
それによって江戸時代の200年以上に及ぶ平和な外交関係が維持できたのです。
鎖国と言われた時代に朝鮮王朝は日本が唯一正式な国交を結んだ国でもありました。
以上説明は、福禅寺HP他参照致しました。
この先は本堂となり、撮影は禁止
いろんな資料が展示されていました。
朝鮮通信使といろは丸事件(龍馬さん)の縁の場所としてではなく
本当に素晴らしい景色と、展示物
はい。
思わず、バッグを客殿の真ん中に置きっぱなしにして
カメラだけ持って、あちこち撮影して歩き廻る程に…
「じゅ、珠里さん、荷物 」
慌ててTちゃんが教えてくれました
お~、危ない、危ない
一昨年の、京都戒光寺の
「カメラ置き去り事件(笑)」の二の舞を演じるところでした
カメラより悲惨になったな、これ。
お財布から携帯から、全部入ってたもん
Tちゃんありがとう
素敵な場所へのご案内
Tちゃん、本当にありがとう
2016年蘭秋(らんしゅう)23日 汐海 珠里