昨年5月の、思いがけない「遠足」。
最後の史跡の場所、八王子に着いたのは、もう夕暮れ時です ニコニコ


多賀神社


多賀神社 由緒
本社は天慶元年(九三八)武蔵介に任ぜられた源経基が国土豊穣、万世安穏を祈願する為、滋賀県多賀大社から分祀し、この地に勧請したと伝えられている。
その後、文應元年(一二六〇)北条時頼が国内巡行の折、この地で病に倒れて、本社に古鏡一面を奉納して祈願したところ、治癒したことから社領七反歩を寄進し、祈願所としたと伝えられている。
本社御祭神は国土創造の神である伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冊尊(イザナミノミコト)の二神を祀っている。
伊弉諾尊・伊弉冊尊は夫婦神として我が国初めての神で、伊勢神宮御祭神の天照大神(アマテラスオオミカミ)をお産みになられた神であり、良縁成就、子孫繁栄のほか、家内安全、健康長寿、病気平癒など人々の生活と心とを豊かにする御神徳がある。
又、伊弉諾尊はお祓いの神としても知られている。
本社は全国の多賀神社(七十八社)のなかの旧郷社、四社のうちの一社で、関東最大の規模を誇っており、新撰組(甲陽鎮撫隊)解散の地としても知られ、境内にある樹齢四〇〇年余の大銀杏の御神木や、八王子まつりでの渡御で有名な宮神輿「千貫神輿」も広く知られている。
現在は、元旦祭、節分祭、例大祭(八月第一金曜、土曜、日曜)などは勿論のこと、初宮詣り、厄除祓い、安産祈願、合格祈願、自動車等の交通安全祈願、病気平癒祈願、商売繁盛祈願や、神前結婚式、七五三詣りなどで、氏子は元より、市内及び近隣地域に渡って、広い地域の人々から崇敬されている。

   (境内掲示 由緒書きより)




手水舎

拝殿に向かって伸びる内参道右手にあり、昭和41年9月の台風26号により倒壊、その後、現形に復旧されている。
その復旧工事の際、棟木に大工谷飛騨正平惟貞の墨書銘が確認されており、江戸末期の建物 と推測される。

   (HPより)




ちょうど改修工事中 あせる






狛犬さんが、
内側に新しいもの、外側に古いものが配置されておりました。





本殿に参拝。



この柱の模様、綺麗ですね ニコニコ





神楽殿

旧神楽殿を八王子日吉神社に譲渡し昭和8年に現在の神楽殿が建立された。
棟梁は千人町住の森上馬吉。

   (HPより)




本殿脇にあった灯篭。


秋葉大権現」の文字と「文政十二年」の文字。




天下泰平」「宿内安全


皆の願いが、わかりますね。



ところで、この多賀神社。
神社の由緒の中にも書かれていましたが
甲陽鎮撫隊(新選組)とも関係があります。

柏尾の戦いで敗戦。

テンテンバラバラに敗走してきた隊士たちが

集まったのが、ここ多賀神社と言われています





樹齢400年を超すという大きな木がありました。


疲れ切った彼らが、この根本にへたり込んだのでしょうか。

それとも、追ってくる新政府軍の影に

不安な刻を過ごしたのでしょうか…



慶応4年3月8日(1868年3月31日)。

八王子宿で勇さんは


跡ト同志ノギハ永倉新八、原田左之助両人二任ル。

右之段同志一統江申聞ケ承知イタス。

   (浪士文久報国記事)


と告げたそうです。


その言葉の解釈の違いからなのか

はたまた勇さんの慢心からなのか

試衛館時代からの同志であった仲間が

袂を分かつことになってしまいます。


けれどきっと、彼らの根底にある想いは一緒。



私が本ブログでその頃を書くのは

もう少し先の事になります。

彼らの想いを、書くことはできるのかな…




この日、おもいがけない「遠足」になって

とても良いお天気にも恵まれて

新選組史跡としては、ちょっと悲しい場所ではあったけれど

皆と一緒に巡ることができ

本当に本当に、楽しかったぁ~ ニコニコ


ありがとね 合格







   2016年仲鐘(ちゅうしょう)15日  汐海 珠里