会津旅、鶴ヶ城の天守閣でストップしておりました ニコニコ

では、続き ドキドキ


天守閣から見た「南走長屋」と、一番奥は「干飯櫓」 

平成13年に復元作業が完了したそうです。


本丸

かつては、大書院・小書院・奥御殿などがあった場所ですね。



下を見ると、ちょっと怖い あせる

 

 

さっきの「南走長屋」の内部。

ぴかぴか ニコニコ

ここは、表門(鉄門)から続いていて、帯郭と本丸を隔てる重要な位置にあります。

敵の侵入を防ぐ要となっていたそうです。

武器倉庫でもあったらしいです。



写真、ちょっとピンぼけ 汗



「干飯櫓」の石落とし

ここは、南側のお堀に面していて、敵の侵入を防ぐ為に石を落として防御しました。

でいいのでしょうか はてなマーク

ちょっと確認の意味で、調べていたら…

この人形について「石落としの役割が正しく理解されるのでしょうか」というような言葉にあたったので、ちょっと不安 あせる

ご存知の方、お教え下さいませ m(_ _ )m



振り返って天守閣を見てみます。

 

文禄2年(1593年)に蒲生氏郷さんがおつくりになった時は、七層。

 

しかも巨大な漆黒色でした。

別名、烏城と言われたとか。

で、その後慶長16年の大地震で傾いたり崩壊したりしましたが、

寛永16年(1639年)、加藤明成さんの時に、現在と同じ五層で白い天守閣が建てられました。

しかし、幕末戊辰戦争に敗れ、明治7年、取り壊されました。

再建されたのは昭和40年でした。



取り壊される前のお城 しょぼん

もう、ボロボロ。でも、しっかり建っています。



平成18年11月に訪れた時のお写真です。


そして現在。

屋根瓦が「赤瓦」になっていることが、おわかりになりますか?

これは、保科正之さんの時代に改良されたものなんですって。

それまでの黒い「いぶし瓦」だと、冬の寒さに凍み割れてしまうのだそうです。

取り壊された当時の姿に近づける為に、平成23年に赤瓦吹き替えられ完成しました。

ちょっと角度がちがう為にわかりずらいかと思いますが、

5層目の欄干(でいいのでしょうか)の色も違いますね。

以前は、赤でした ニコニコ

 

平成23年ー 震災のあった年です。

 

吹き替え工事が終わって、綺麗になって、さぁこれから! 

という時におこったのが、東日本大震災でした。

それから2年は、ほとんど観光客も訪れず寂しかったと、

後にご案内下さいましたガイドさんが、おっしゃっておりました。

「でも、あの大地震に瓦一枚ずれることなく大丈夫だったんですよ」

と、ちょっと誇らしげなお言葉に、もう涙が出そうでした あせる

 

さて、天守閣を見てお城を半周して戻ったところで、ちょうど良いお時間。

 

ボランティアガイドさんに案内して頂いて、城址公園をめぐりましょうか。

次回に ニコニコ

 

   2014年神無月25日  汐海 珠里