「野口です」

局長室の前で声を掛ける。

「入れ」

歳三の声であった。

野口はちょっとためらう。

かつて一緒にいた新見が、歳三のことを悪く言っていたのを聞いていたせいなのか、なんとはなしの苦手意識がある。

ひとつ大きく息を吸って、襖を開けた。

「呼び立てて悪かったな」

勇が相好を崩す。

「いえ」

「ところで、野口君は先月近江方面へ出張しに行っていたという事だが」

「はい。それが何か?」

先月近江国蒲生郡で不逞浪士が出没しているとの要請を受け、野口と、同じく副長助勤の安藤早太郎の二人が派遣されたのであった。

事件そのものはたいした事ではなく、捕縛して役人に引き渡し帰京した。

勇がちらりと歳三を見る。

「実は、七里村の百姓・甚右衛門の妻というのが、新選組(おれら)のせいで、村に住めなくなったと訴えてきている」

歳三が視線を流す。

「え? どういうことですか?」

その視線に射すくめられたように、声が震えた。

「以前よりそやつらが、同じ村の何とかっていうやつらともめているから何とかしてくれと訴えてきておった」

勇が助け舟を出すように、説明する。

「しかしなぁ、そういった問題はそもそもが管轄外だ。だからそのままほおっておいたのだよ」

野口が頷いた。

「しかしその後三好織江、大舛屋久左衛門、それと壬生詰合浪士(新選組)二人というのが、その村に入り騒動を起こした。揉め事に勝手に首を突っ込み、金品を要求した。すなわち、勝手に訴訟を取り扱った、という事だ」

歳三がじろりと見つめる。

「ちょ、ちょっと待って下さい。それが私だとおっしゃるのですか?」

「その壬生詰合浪士というのは、元水戸藩士だそうだ」

「水戸藩士…」

 

 -声を、震わせてはいけない。

 

  そうなければ、疑われてしまう…

 

そう思えば思う程に、変に緊張して語尾が消える。

 

それに反応するかのように、歳三の低い声が響く。

「今新選組には水戸出身は、お前しかおらん」

「し、しかし私は安藤さんとご一緒でした。七里村というのも…」

あっと野口が小さく息を飲み込んだ。

「何だ?」

「あ、いえ…」

「安藤は年寄りだからな。早寝をしてしまったらその後に抜け出すこともできただろうなぁ」

独り言のように、歳三が言う。

「歳、」

勇が言葉を止める。

「野口君、何も君を疑っているという事ではない。ただ、そう名乗っているやつらに、何か心あたりでもないかと思っただけだ」

「局長」

野口は何かを決心したように、切りだす。

「私をもう一度出張にやって下さい。その偽隊士を捕えて参ります」

「局を脱するつもりか?」

歳三が口辺を上げて言った。

「まさか!」

野口が目を見張る。

「しかしこのご時世だ。幕府からの布告も存じておろう?」

「水戸浪士あるいは新徴組と称して悪事を働いている者あり。怪しい浪士は召し捕り。抵抗の場合は殺害も可」

「歳、」

と再び勇が止める。

「大樹様御上洛を控え、警備の人手も足りない状況だ。他の隊士を付けてやれる余裕はないぞ」

勇が野口に語りかける。

「はい」

歳三は口をへの字に結んだままだ。

ほぉっとひとつ息を吐いて、勇が野口に言う。

「行っていいぞ。予定の巡察が終わり次第、出張に行ってくれ。新選組の名を語る以上、そのままにしておくわけにもいかんからな」

「はっ!」

一礼して、野口が部屋を出る。

「俺も自室に戻る。もうすぐ山南さんが医者から帰る頃だろう」

歳三は勇と目を合わせないままに、部屋を出た。

「歳」

その背に声を掛けた。

「あまり思い詰めるなよ」

 

 

   2014年睦月25日  汐海 珠里

 

※) 七里村騒動について