孫文であれば、今の日本政治と東アジア情勢をどう見るだろう | Making Our Democracy Work! 石井登志郎オフィシャルブログ Powered by Ameba

孫文であれば、今の日本政治と東アジア情勢をどう見るだろう

今週、5年ぶりに台北を訪れました。私の勝手な理解では「中国語を話す日本的な国」。国民性の穏やかさ、街の居心地のよさはまるで日本です。20間にも満たない滞在でしたが、その心地よさは、以前と変わっておらず、ずっと住みたいという気持ちにもなりました。

 

そんな台湾にかれこれ9年も住みついて、今や事業家として活躍中の鈴木烈君と、久々の出会いを喜び、懇談の機会を持つことが出来ました。もともとすずかんファミリーとして出会った烈君と私ですが、あれは10年前、私が初めての衆院選に落選直後、葛飾区議だった烈君が区長選挙に打って出て、見事に玉砕したことは昨日のことのようです。その選挙に関し、今でも覚えているのが、ネット選挙解禁前ということもあり、前日の1159までにウェブサイトを書き換えなくてはいけない!、と大騒ぎし、その作業をなぜか私と当時都議会議員であったM.Kさんとで、すったもんだしたことが思い出されます。政界で鮮やかに散ってからの彼は、ある意味見事でした。冗談だと思っていたら本当に台湾へ高跳びし、今や飲食店数十店舗を経営する会社の社長ですから、人生いろいろです。人間は、年を取ると顔に人生が表れるものです。42歳になった烈君の人相は、昔と変わらずきれいさっぱり、いい土地で、家族と仲よく、そしていい仕事をしていることがよくわかりました。さて、私の人相はどう映っただろうかしら。

 

台湾を離れる朝に、現代中国の立役者、孫文の功績を記念するための国父記念館と、台湾(=中華民国)を建国した蒋介石の功績を讃える中正記念堂を訪れてきました。神戸に縁もあり、日本を愛し、日本の女性も愛した孫文を敬愛する私としては、その大きな像を見ながら、戦後70年と今のアジア情勢に思いを馳せました。

 

孫文を讃える国父記念館にいって驚いたのが、「抗日戦争祝勝70周年記念」の記念展示があったことです。中正記念堂にもありましたが、こちらは蒋介石が主人公ですから、この類の展示はあるだろうなと思いましたが、孫文の国父記念館の方にもあるとは、めまいがしましたし、厳しい現実を突き付けられた思いでした。ただ、展示には多少の違いがありました。中正記念堂では、盧溝橋事件に始まり、南京大虐殺や日本軍の侵攻によって故郷を追われた5千万人以上の難民などの絵が数十枚飾られています。一方の国父記念館には、そのような絵や記述はほぼなく、中華民国立国にあたり様々な方面で功績のあった方々の紹介がされていました。しかし、それらも含めて題名は「抗日祝勝70年」です。

 

私はこれを見て、「親日的なはずの台湾でもこれか?!」と思いますが、だからと言って、今の台湾人に日本に対する厳しい感情があるとは思えません。そう考えると、例えば私たちは20世紀初頭の日露戦争勝利を今でも祝っていますが、別にロシア人を今でも忌み嫌うというために祝うよりは、ロシアに勝ったことで先進国の仲間入りを果たしたことを記念しているのだと思います。そう考えると、大東亜戦争は日本以外のアジア諸国にとって、その後に真の建国と独立を果たすために、忘れることができない歴史の転換点であったのだと理解します。さて、仮にその理解が正しいとすれば、真の建国と独立を果たすきっかけとなった「抗日勝利」は、中国、台湾、朝鮮半島、フィリピンなどでは、今年の70年目に留まらず、80年、100年、場合によっては300年、500年と続く節目として語り継がれるかもしれません。しかし、それが今後も「抗日勝利」という表現であるとすれば、日本人としては抵抗があるところです。1945年と言う節目を「抗日勝利」という表現から、例えば「真のアジア諸国独立幕開け記念」などに変えるための、戦略的アプローチを、まずは比較的親日であるフィリピンと台湾からしてみたらどうかと思います。

 

孫文が残した言葉の中で、心を打つものが「三民主義(民族、民権、民主主義)」であり、「博愛」であり、「天下為公」であり、そして「覇道でなく王道を貫くべし」とした思想です。特に「覇道でなく王道を」とは、今の日本を取り巻く国々の指導者にしっかり言い伝えねばなりません。孫文曰く、武力によってねじ伏せる『西洋の覇道』に対して仁義道徳で感化させるのが『東洋の王道』だとし、日本の目指すべきは東洋の王道を基礎においた大アジア主義である、と訴えました。今の中国(北京)指導部の南沙諸島への進出や日本近海への侵出は、まさに「覇道」と言わざるを得ず(北朝鮮の金王朝はもっと覇道路線)、そこに相手国も覇道で事に当たれば、そこには力と力のぶつかり合いしかなくなってしまうわけであります。

もちろん、大東亜戦争を起こした大日本帝国こそが、「覇道」の極みではないかとの指摘を忘れてはなりません。そうした歴史を刻んできたからこそ、日本は「王道」を貫き、力によって他国をおさえつける道には断固として反対し、仁義道徳を重んじ、平和国家としての路線に邁進すべきだと考えるところです。日本の国会では、安保法制に関して大変大きな節目の状況です。私は、日本を取り巻く国際環境が変化をしていることを理解しますし、アメリカやフィリピン、オーストラリア等々の指導層の日本に対する期待も承知をしているつもりです。さてそこで、日本が取るべき道は、米比豪などの現時点での期待にどう応えるのか、日本が歩んできた歴史に思いを馳せながら、その日本が貫くべき「王道」が何かを見極めて道を選ぶ、大変大きな岐路に差し掛かっていると思います。

総理がいくら口で否定したとしても、今日までの言動からして、歴史修正主義と言われても仕方のない人が中心の政権で、「覇道」と思われる方向へ日本を導くことは、どうも釈然としない思いです。孫文であれば、安倍総理と今の日本人にどう声をかけるだろうか、日本が迎える歴史の大きな岐路に、思いを馳せるのでありました。

 

{043C7E9F-3E8A-4BDB-B529-4D26A42EC04B:01}

{CF301F59-1CD3-4902-9E71-6BCF4B3306B1:01}

{1ABA02A7-2A48-44D2-A0B7-B77AC69BB258:01}