看取るということ
では、看取るって、どうゆう意味があるんだろう?
人生には、始まりと終わりがあります。
弓矢の両端の話などを例える方いますが…
私は、こうした状況下にあるとき(変な言い方か?)
白石一文氏「この世の全部を敵に回して」
遠藤周作氏「海と毒薬」
何度、読んでも難しいのですが…読みます。
ホーム内で看取る場合の、
思いと重いと辛さと笑顔など色んな言葉が頭を掠めるのも事實です。
そうした事實を客観的に受け止め、至極冷静に対応しなくてはいけません。
でも、それが、単純にいきません。
それが、人と人だからです。
人と物ととは、比べる術も比べる技量もできません。
そうした複雑な色々な思いを胸に
今、一人の入居なされてる方の運命の最後に向き合ってます。
それが、我々のミッションです。
( 昨晩の夕食の一部です、美味しそでしょう? )
走馬灯の様に、その方と過ごした時間・思い・感情で、自分を見失いそうになりますが、
それが、看取るということかもしれません。
( これは、どうでしょか? )
※ 専門的な学術的考え方・意見等。多々あると思いますが、
敢えて、私の師走の一部分での感じ方を記述したものです。
寛大な御心で、拝読なされることを切にお願いいたします。