聖戦 | 田母神俊雄オフィシャルブログ「志は高く、熱く燃える」Powered by Ameba

聖戦

石川県金沢市の護国神社の参道に、高さ12メートルの大東亜聖戦大碑がそびえている。2000年8月4日に建立され、全国から多くの人々が集まり、毎年ここで大東亜戦争で祖国日本のために尊い命を捧げられた英霊の皆様に感謝する慰霊祭が開催されている。今年はここで、その10周年記念式典が慰霊祭を兼ねて10月11日(日)に実施された。石川県護国神社、日本を守る会、大東亜聖戦大碑護持会、大東亜青年塾の主催で、北国新聞社とテレビ金沢が後援している。また石川県郷友会、軍恩連盟石川県協議会、石川県海交会、自衛隊北陸地方協力支援友の会が共催という形で参加している。主催者の一つである大東亜聖戦大碑護持会は、これまで元参議院議員の板垣正氏が会長を務めておられたが、今回の式典から私が会長を引き継ぐことになった。大東亜戦争を戦った我々の祖先の崇高な思いを後世に伝えることに少しでもお役に立てればと思っている。大東亜戦争は聖戦であった。


15世紀くらいから、白人国家は有色人種の国を次から次と植民地にしてきた。植民地の人たちは、牛馬同然の酷い生活を強いられていたのだ。大東亜戦争が始まる時点で、アジアにおける独立国は日本とタイのみであった。タイは、イギリスとフランスの植民地の緩衝地帯として意図的に残されていた面があり、自力で残っていたのは我が国のみである。もし、我が国が白人国家の植民地になってしまえば、白人国家の全世界植民地化計画が完成し、一旦そうなってしまえば抵抗のすべを奪われるため、その後何百年その状態が続くかわからない。もし、私たちの祖先が戦わなかったならば、私たち日本人も今頃、植民地で生活していた可能性が大である。「負けるとわかっていた戦争をしたのが悪い」とかいう政治家もいるが、戦わなければ植民地になっていただけだということが解かっていない。私たちの今日の平和で豊かな生活は、あの聖戦を戦って国家のために命を捧げてくれた、私たちの祖先のおかげなのだ。大東亜戦争は、アメリカから仕掛けられておりあの時点で我が国には「戦わない」という選択はなかったのである。真珠湾攻撃から日米戦争が始まったというのはアメリカの宣伝である。


日本は戦争に負け、国土が焼け野原になり、多くの人たちが命を奪われることになったが、大東亜戦争の当初は白人国家を次々に打ち負かしていったのだ。マッカーサーも、日本軍によってオーストラリアに追い払われた。これをアジアの人たちが眼前で見ていて目覚めることになった。「俺たちもできる!」ということで、次々に独立戦争が起きることになった。そして遂に、白人国家もこれを無視できなくなり人種平等の世界が来たというのが世界史の大きな流れである。


イギリスのハーバート・G・ウェルズ という歴史学者は、「この大戦は植民地主義に終止符を打ち白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた」と言っている。また、タイのククリット・プラモート 首相は、「日本のおかげでアジアの諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産して母体を損なったが、生れた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決心をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない」と言っている。 (名越二荒之助『世界史から見た大東亜戦争』展転社、1991年)そのほかにもシンガポールのゴー・チョクトン首相、インドのネール首相など我が国が戦った大東亜戦争を評価する声は多かったのである。


世界史的に見れば、何百年も続いてきた白人国家の植民地主義に終止符を打ったのは、大東亜戦争を戦った日本なのである。しかし、戦後の我が国ではアメリカの占領下で押し付けられた「アメリカは正義であり、日本は極悪非道である」という歴史観が、今大きく根を張っている。


歴史は戦勝国が作る―。戦争に負けた日本は、一時戦勝国アメリカの歴史観を強制される。しかし、できるだけ早く日本国民が考える誇りある歴史を取り戻さなければ、国家は衰退するだけである。戦後の我が国の指導者たちが経済復興に専念している間に、その陰で子供たちにはサヨク主義者たちによって、教育界において、自虐史観が植え付けられてきた。そうして出来上がったのが、鳩山総理や菅総理なのである。