【日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは 一体誰のお陰であるのか。
それは『身を殺して仁をなした』日本という
お母さんがあった為である。
12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を
賭して重大決意された日である。
更に8月15日は我々の大切なお母さんが、病の床に伏した日である。我々この2つの日を忘れてはならない。】
(タイ国 ククリット・プラモード 元首相)
日本人は、日清戦争から第二次大戦までの戦争の本質について知る人は少ない。
江田五月法相は靖国神社に参拝しない理由を
「靖国神社は先の戦争で国民を戦争に駆り立てる役割を果たした。戦争責任や諸外国に迷惑を掛けたことを考えるといかがなものか」と説明。
当時の日本は多くの国民を犠牲にし、アジア各国に対して悪いことをした。
『ことになっている』
日本の戦争について日本人は
『日本は同じ過ちを繰り返してはならない』
と教育を受け、私も日本は過ちを犯したのだと信じ込んでいた国民の一人である。
当時アメリカは、日本に対してABC包囲網を作り、日本に石油を一滴も入れないという措置を取り、更に追い討ちをかけられるように
アメリカは、日本がこれを実行したら国が解体するような要求を連ねた「ハルノート」
を突き付けてきた。
この「ハルノート」実はソ連の謀略が深く関わっていた。
ソ連のスターリンは昭和10年のコミンテルン大会の演説で
「当面の敵はドイツと日本である。
ドイツはイギリスとフランスに戦わせ、
日本は中国国民党と戦わせよ。
その戦争にアメリカを引きずり込んで、荒れ果てた地を、ごっそり奪うのである」
ソ連はスパイと謀略にたけた国であるが、アメリカ政府の中枢にまでスパイを多数送り込んでいた。
アメリカのルーズベルト大統領のもとで財務次官を務めていたハリーホワイトという人物がソ連のスパイであった事実が明らかになっている
(ヴェノナ文書)
ハルノートはこのハリーホワイトが書いたものである。
これを受け『日本は座して死を待つより戦うことを選択した。』のだ。
他人に死ねと言われてハイ分かりました。という者がどこにいるであろうか。
日本の戦争は常にこういう性質のもので戦いを、望んだものではなく、戦わざる得なかったものなのだ。
そして日本が戦争に敗れた。
当時、戦勝国で日本の占領統治の最高責任者であったマッカーサーは、アジアで唯一、欧米列強と対等に渡り合った小国、日本を恐れ、
GHQが作製した日本国憲法にて日本から武器を奪い、
思想においては、徹底的な自虐教育をしいてきた。
一方的に戦争犯罪者なるものを作りあげ、戦勝国の不当な裁判にて、次々に処刑にした。
東京裁判が戦勝国の不当な裁判であったことは、いまや国際的にも常識となっている。
マッカーサーは後日、日本の立場からこれら日本の戦争を考えた時、
日本の戦争は
『侵略戦争ではなく、祖国防衛のための戦争であった』
と米議会にて真実の証言をしている。
このGHQの占領政策の一環であった自虐教育は数年で止めている。
では何故 戦後年も経った今でも日本は自虐史観に満ちているのだろうか。
中国と朝鮮が今もなお、『自国にとって都合がいい』自虐史観を利用し続けているからに他ならない。
中国は、捏造した反日歴史教育により、日本を一方的に悪者にして、国民の共産党一党独裁体制の不満をそらすために利用している。
韓国は敗戦国の責任を逃れ、また、日本のおかげで今の先進国韓国がある事実を隠すために反日に転じた。
ちなみに、彼等のいう南京大虐殺や強制連行、従軍慰安婦なども、戦時中の膨大な資料が存在するにも関わらず、それを裏付ける文献や資料は「一つ」も存在しないお粗末さである。
確かに日本は台湾や朝鮮などを植民地支配をしてきたが、国際的にも合法の統治であり、なによりも欧米の奴隷、略奪式植民地支配ではなく、その国の自立、独立を支援した植民地支配で国際的にも高く評価されている。
当時の日本の技術、教育、人材を惜しみ無く注ぎこんだ統治だったのである。
韓国で今も使用される、日本統治時代の建物。
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/101618/91171/69404729
日本の植民地統治で一番優遇されていたのは朝鮮国であったが、戦後、多大な恩を忘れ、卑怯にも反日に転じた韓国と違い、同じ植民地支配をされていた台湾はこの日本の恩を忘れない。
東北大震災で莫大な義援金を送ってくれた台湾人の方々の姿は、いかに正しい歴史教育の大切さを示しているのではないだろうか。
また、アジアとは朝鮮と中国だけではない。
アジア各国の第二次大戦の日本をどのように理解してるのかを見てみると
※インドネシア アリ・ムルトポ准将
「日本はアジアの光である。
大東亜戦争は欧米人にアジア人の勇敢さを示したものでアジア人の誇りである。
今、忽然として日本民族がこの地球上から消えたら韓国が一番困ると思う。
もし、日本がシンガポールの地点にあったら、インドネシア人の成功は容易である。
つまり、日本の近いところに位置していることは、幸運なのだ。
経済的支援を連続的に受けていると言ってもよいくらいだ。
インドネシアが日本に近ければ、今のような貧弱なインドネシアではない。
つまり、我々インドネシア人は『日本はなにもしてくれなくてもよい』と考えている。
日本は欧米と肩を並べて進歩しているだけで十分、アジア・アフリカにつくしていると考えている。
だから、我々アジア人は外交面に弱い日本を支援したいと思っている」
※マレーシア マハティール元首相
「日本は、軍国主義が非生産的であることを理解し、その高い技術とエネルギーを、貧者も金持ちも同じように快適に暮らせる社会の建設に注いできた。
質を落とすことなくコストを削減することに成功し、かつては贅沢品だったものを誰でも利用できるようにしたのは日本人である。
まさに魔法も使わずに、奇跡とも言える成果を創り出したのだ。(中略)
東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。
そして他の東アジア諸国はあえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功をとげた。
東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることは なくなった。
いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、実際にそれを証明してみせた。
もし日本なかりせば、世界は全く違う様相を呈していただろう。
富める北側はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。」
(欧州・東アジア経済フォーラム 1992年10月14日)
※ビルマ独立宣言書より(現ミャンマー) バーモウ首相
「約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。
愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばし、死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。
ビルマ人はアジアを統合せしめアジアを救う指導者を 待望しつつありしが、ついにこれを大日本帝国に発見せり。
ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を、永久に記録せんことを希望するものなり。(独立宣言書より)」
第二次大戦は欧米諸国の植民地支配から日本がアジアを解放させたとの認識は、もはや国際社会の常識になっているという。
ただし、日本と朝鮮、中国を除いて。
それに日本軍人が残虐非道な行為をしたなら、何故、朝鮮や中国以外のアジア諸国から非難の声が上がらないのか不思議である。
それどころか朝鮮、中国以外の日本が統治した国々がなぜ親日国になっているのだろうか。
南国・パラオ共和国も台湾などと同様に親日傾向が強く、パラオ国旗は日の丸にそっくりで
今も「日本人と一緒に戦った」ではなく「日本人として戦った」と言うのだという。
毎日新聞のコラムにこんなパラオの話が載ったことがある。
遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ……」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、 いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に、日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。
船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、彼は悟ったという。あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと……。
「パラオの統治者である日本軍」としては、パラオ諸島の小さな島・ペリリュー島の民間人を“圧倒的不利な戦局”に巻き込んではならないと配慮したのだ。
そして船舶も乏しい中、空襲を避けて夜間に船を出し、住民の全員をパラオ本島に避難させたのである。
そして日本軍はパラオを死守するために文字通り死を覚悟して戦った。
日本は圧倒的に不利だった。アメリカに制海権・制空権を掌握されている上に、兵力14倍、航空機200倍以上、戦車100倍、重火砲1000倍という歴然たる戦力差。
しかしそれでもアメリカの上陸作戦史上最高の損害比率を出させるほどに抵抗し、全く補給もなく73日間も守り通し、玉砕したのだ。
最期に『サクラ・サクラ』という電文だけを残して。
その戦いの甲斐あって最大激戦地・ペリリュー島での民間人死傷者はゼロだった。
戦争後に島に戻った島民たちは、放置されていた夥しい数の日本兵の亡骸を泣きながら埋葬した。
後にペリリュー島のオキヤマ・トヨミとショージ・シゲオが“ペリリュー島の玉砕戦”を、日本の国花・桜に託して作った
『ペ島の桜を讃える歌』は、今でも彼らに愛唱されているという。
朝鮮人が言う
「日帝は我々から全てを奪った、日本軍人は残虐非道な行為を行った」などの嘘は明白である。
話を戻すと、なぜ未だに当の日本人が第二次大戦の真実を知らないのか。
これは今でいうなら、フジテレビに象徴される日本の主要メディアの全てが、朝鮮人からの圧力を受けているからに他ならない。
日本人ならば、いかに朝鮮人の文化、精神侵略がマスメディアのみならず、教育、経済界、そして日本の命運を左右する政界にまで、深く浸透してるか知るべきである。
民主党が人権擁護法案を可決させれば、もはや日本は、朝鮮人や中国人のものになり、独立国でなくなるであろう。
今日靖国神社に参拝した
石原慎太郎都知事は靖国神社の英霊の方々に
『日本を救って下さい』
と祈念したと述べた。
このような危険な事実も、日本のマスメディアが朝鮮人の監視下にあることから、日本人の耳には入らない。
知るべき情報が入らないどころか、事実がねじまげられて全国に放送されることで重大だ。
もはや企業の利益のためだから仕方ないなど話では済まされなくなってくる。
現在の首相がどこの国の人間なのかもわからないような者でも無関心である。
これが日本の亡国の危機といわずしてなんなのか。
最後に、特攻隊として、愛する家族、両親や妻、子供を護らんがために、祖国防衛に命を捧げて逝った方々の手紙のふたつを謹んで拝してみる
その前に、特攻にたいするの誤解もかなりある。
若くして無理矢理戦争に駆り出され、犠牲になった象徴のような存在になっているが、神風特攻隊は当時日本の特攻作戦の一部にすぎない。
当時の日本軍人の、文字通り命懸けで祖国を守りたいという強い意志が実行されたのだ。
操縦の仕方もわからないような15、6の青年が特攻に駆り出され、無駄死にしたなどは嘘八百である。
実際は特攻を志願したものがほとんどであり、戦闘機パイロットのエリート達が祖国を守るために命をとして行っている。
事実、特攻隊を志願してもなれない者が多数いたのが真実である。
海軍大尉
関 行男
第一神風特攻・敷島隊
大正10年8月29日生。海軍兵学校70期。
昭和19年10月25日
『西条の母上には幼時より御苦労ばかりをおかけ致し、不幸の段、お許し下さいませ。
今回、帝国勝敗の岐路に立ち、身を以て君恩に報ずる覚悟です。武人の本懐此れにぐるものはありません。
鎌倉の御両親に於かれましては、本当に心から可愛がっていただき、其の御恩に報ゆる事も出来ず征く事を、お許し下さいませ。
本日帝国の為、身を以て母艦に体当たりを行い、君恩に報ずる覚悟です。
皆様御体大切に
父上様 母上様
行男
タクロバン沖の米空母に突入し戦死。
海軍少尉
植村 真久
神風特攻・大和隊
大正8年生、25歳。立教大学出身。
(注:妻に託した愛児への便りです)
『素子、素子は私の顔を能く見て笑いましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入ったこともありました。
素子が大きくなって私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代伯母様に私のことをよくお聞きなさい。
私の写真帳もお前のために家に残してあります。
素子という名前は私がつけたのです。
素直な、心の優しい、思ひやりの深い人になるやうにと思って、お父様が考へたのです。
私はお前が大きくなって、立派な花嫁さんになって、しあわせになったのを見届けたいのですが、
若しお前が私を見知らぬまま死んでしまっても、決して悲しんではなりません。
お前が大きくなって、父に会ひ度いときは九段へいらっしゃい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮びますよ。
父はお前は幸福ものと思ひます。生れながらにして父に生きうつしだし、他の人達も素子ちゃんを見ると真久さんに会っているような気がするとよく申されていた。
またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一の希望にしてお前を可愛がって下さるし、お母さんも亦、御自身の全生涯をかけて只々素子の幸福のみ念じて生き抜いて下さるのです。
必ず私に万一のことがあっても、親なし児などと思ってはなりません。
父は常に素子の身辺を護っております。優しくて人に可愛がられる人になって下さい。
お前が大きくなって私のことを考へ始めた時に、この便りを読んで貰ひなさい』
昭和19年10月26日 比島沖にて戦死。
お国を守るために命を捧げた靖国の英霊の方々は今の日本を見て何を想われるのであろうか。
きっと強い憤りと深い悲しみに震え、涙しながら我々日本人を叱咤するに違いない。
主な参考資料 なぜ韓国は反日か。http://www.koreanantijapan.comze.com/
日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは 一体誰のお陰であるのか。
それは『身を殺して仁をなした』日本という
お母さんがあった為である。
12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を
賭して重大決意された日である。
更に8月15日は我々の大切なお母さんが、病の床に伏した日である。我々この2つの日を忘れてはならない。】
(タイ国 ククリット・プラモード 元首相)
日本人は、日清戦争から第二次大戦までの戦争の本質について知る人は少ない。
江田五月法相は靖国神社に参拝しない理由を
「靖国神社は先の戦争で国民を戦争に駆り立てる役割を果たした。戦争責任や諸外国に迷惑を掛けたことを考えるといかがなものか」と説明。
当時の日本は多くの国民を犠牲にし、アジア各国に対して悪いことをした。
『ことになっている』
日本の戦争について日本人は
『日本は同じ過ちを繰り返してはならない』
と教育を受け、私も日本は過ちを犯したのだと信じ込んでいた国民の一人である。
当時アメリカは、日本に対してABC包囲網を作り、日本に石油を一滴も入れないという措置を取り、更に追い討ちをかけられるように
アメリカは、日本がこれを実行したら国が解体するような要求を連ねた「ハルノート」
を突き付けてきた。
この「ハルノート」実はソ連の謀略が深く関わっていた。
ソ連のスターリンは昭和10年のコミンテルン大会の演説で
「当面の敵はドイツと日本である。
ドイツはイギリスとフランスに戦わせ、
日本は中国国民党と戦わせよ。
その戦争にアメリカを引きずり込んで、荒れ果てた地を、ごっそり奪うのである」
ソ連はスパイと謀略にたけた国であるが、アメリカ政府の中枢にまでスパイを多数送り込んでいた。
アメリカのルーズベルト大統領のもとで財務次官を務めていたハリーホワイトという人物がソ連のスパイであった事実が明らかになっている
(ヴェノナ文書)
ハルノートはこのハリーホワイトが書いたものである。
これを受け『日本は座して死を待つより戦うことを選択した。』のだ。
他人に死ねと言われてハイ分かりました。という者がどこにいるであろうか。
日本の戦争は常にこういう性質のもので戦いを、望んだものではなく、戦わざる得なかったものなのだ。
そして日本が戦争に敗れた。
当時、戦勝国で日本の占領統治の最高責任者であったマッカーサーは、アジアで唯一、欧米列強と対等に渡り合った小国、日本を恐れ、
GHQが作製した日本国憲法にて日本から武器を奪い、
思想においては、徹底的な自虐教育をしいてきた。
一方的に戦争犯罪者なるものを作りあげ、戦勝国の不当な裁判にて、次々に処刑にした。
東京裁判が戦勝国の不当な裁判であったことは、いまや国際的にも常識となっている。
マッカーサーは後日、日本の立場からこれら日本の戦争を考えた時、
日本の戦争は
『侵略戦争ではなく、祖国防衛のための戦争であった』
と米議会にて真実の証言をしている。
このGHQの占領政策の一環であった自虐教育は数年で止めている。
では何故 戦後年も経った今でも日本は自虐史観に満ちているのだろうか。
中国と朝鮮が今もなお、『自国にとって都合がいい』自虐史観を利用し続けているからに他ならない。
中国は、捏造した反日歴史教育により、日本を一方的に悪者にして、国民の共産党一党独裁体制の不満をそらすために利用している。
韓国は敗戦国の責任を逃れ、また、日本のおかげで今の先進国韓国がある事実を隠すために反日に転じた。
ちなみに、彼等のいう南京大虐殺や強制連行、従軍慰安婦なども、戦時中の膨大な資料が存在するにも関わらず、それを裏付ける文献や資料は「一つ」も存在しないお粗末さである。
確かに日本は台湾や朝鮮などを植民地支配をしてきたが、国際的にも合法の統治であり、なによりも欧米の奴隷、略奪式植民地支配ではなく、その国の自立、独立を支援した植民地支配で国際的にも高く評価されている。
当時の日本の技術、教育、人材を惜しみ無く注ぎこんだ統治だったのである。
韓国で今も使用される、日本統治時代の建物。
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/101618/91171/69404729
日本の植民地統治で一番優遇されていたのは朝鮮国であったが、戦後、多大な恩を忘れ、卑怯にも反日に転じた韓国と違い、同じ植民地支配をされていた台湾はこの日本の恩を忘れない。
東北大震災で莫大な義援金を送ってくれた台湾人の方々の姿は、いかに正しい歴史教育の大切さを示しているのではないだろうか。
また、アジアとは朝鮮と中国だけではない。
アジア各国の第二次大戦の日本をどのように理解してるのかを見てみると
※インドネシア アリ・ムルトポ准将
「日本はアジアの光である。
大東亜戦争は欧米人にアジア人の勇敢さを示したものでアジア人の誇りである。
今、忽然として日本民族がこの地球上から消えたら韓国が一番困ると思う。
もし、日本がシンガポールの地点にあったら、インドネシア人の成功は容易である。
つまり、日本の近いところに位置していることは、幸運なのだ。
経済的支援を連続的に受けていると言ってもよいくらいだ。
インドネシアが日本に近ければ、今のような貧弱なインドネシアではない。
つまり、我々インドネシア人は『日本はなにもしてくれなくてもよい』と考えている。
日本は欧米と肩を並べて進歩しているだけで十分、アジア・アフリカにつくしていると考えている。
だから、我々アジア人は外交面に弱い日本を支援したいと思っている」
※マレーシア マハティール元首相
「日本は、軍国主義が非生産的であることを理解し、その高い技術とエネルギーを、貧者も金持ちも同じように快適に暮らせる社会の建設に注いできた。
質を落とすことなくコストを削減することに成功し、かつては贅沢品だったものを誰でも利用できるようにしたのは日本人である。
まさに魔法も使わずに、奇跡とも言える成果を創り出したのだ。(中略)
東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。
そして他の東アジア諸国はあえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功をとげた。
東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることは なくなった。
いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、実際にそれを証明してみせた。
もし日本なかりせば、世界は全く違う様相を呈していただろう。
富める北側はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。」
(欧州・東アジア経済フォーラム 1992年10月14日)
※ビルマ独立宣言書より(現ミャンマー) バーモウ首相
「約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。
愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばし、死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。
ビルマ人はアジアを統合せしめアジアを救う指導者を 待望しつつありしが、ついにこれを大日本帝国に発見せり。
ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を、永久に記録せんことを希望するものなり。(独立宣言書より)」
第二次大戦は欧米諸国の植民地支配から日本がアジアを解放させたとの認識は、もはや国際社会の常識になっているという。
ただし、日本と朝鮮、中国を除いて。
それに日本軍人が残虐非道な行為をしたなら、何故、朝鮮や中国以外のアジア諸国から非難の声が上がらないのか不思議である。
それどころか朝鮮、中国以外の日本が統治した国々がなぜ親日国になっているのだろうか。
南国・パラオ共和国も台湾などと同様に親日傾向が強く、パラオ国旗は日の丸にそっくりで
今も「日本人と一緒に戦った」ではなく「日本人として戦った」と言うのだという。
毎日新聞のコラムにこんなパラオの話が載ったことがある。
遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ……」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、 いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に、日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。
船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、彼は悟ったという。あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと……。
「パラオの統治者である日本軍」としては、パラオ諸島の小さな島・ペリリュー島の民間人を“圧倒的不利な戦局”に巻き込んではならないと配慮したのだ。
そして船舶も乏しい中、空襲を避けて夜間に船を出し、住民の全員をパラオ本島に避難させたのである。
そして日本軍はパラオを死守するために文字通り死を覚悟して戦った。
日本は圧倒的に不利だった。アメリカに制海権・制空権を掌握されている上に、兵力14倍、航空機200倍以上、戦車100倍、重火砲1000倍という歴然たる戦力差。
しかしそれでもアメリカの上陸作戦史上最高の損害比率を出させるほどに抵抗し、全く補給もなく73日間も守り通し、玉砕したのだ。
最期に『サクラ・サクラ』という電文だけを残して。
その戦いの甲斐あって最大激戦地・ペリリュー島での民間人死傷者はゼロだった。
戦争後に島に戻った島民たちは、放置されていた夥しい数の日本兵の亡骸を泣きながら埋葬した。
後にペリリュー島のオキヤマ・トヨミとショージ・シゲオが“ペリリュー島の玉砕戦”を、日本の国花・桜に託して作った
『ペ島の桜を讃える歌』は、今でも彼らに愛唱されているという。
朝鮮人が言う
「日帝は我々から全てを奪った、日本軍人は残虐非道な行為を行った」などの嘘は明白である。
話を戻すと、なぜ未だに当の日本人が第二次大戦の真実を知らないのか。
これは今でいうなら、フジテレビに象徴される日本の主要メディアの全てが、朝鮮人からの圧力を受けているからに他ならない。
日本人ならば、いかに朝鮮人の文化、精神侵略がマスメディアのみならず、教育、経済界、そして日本の命運を左右する政界にまで、深く浸透してるか知るべきである。
民主党が人権擁護法案を可決させれば、もはや日本は、朝鮮人や中国人のものになり、独立国でなくなるであろう。
今日靖国神社に参拝した
石原慎太郎都知事は靖国神社の英霊の方々に
『日本を救って下さい』
と祈念したと述べた。
このような危険な事実も、日本のマスメディアが朝鮮人の監視下にあることから、日本人の耳には入らない。
知るべき情報が入らないどころか、事実がねじまげられて全国に放送されることで重大だ。
もはや企業の利益のためだから仕方ないなど話では済まされなくなってくる。
現在の首相がどこの国の人間なのかもわからないような者でも無関心である。
これが日本の亡国の危機といわずしてなんなのか。
最後に、特攻隊として、愛する家族、両親や妻、子供を護らんがために、祖国防衛に命を捧げて逝った方々の手紙のふたつを謹んで拝してみる
その前に、特攻にたいするの誤解もかなりある。
若くして無理矢理戦争に駆り出され、犠牲になった象徴のような存在になっているが、神風特攻隊は当時日本の特攻作戦の一部にすぎない。
当時の日本軍人の、文字通り命懸けで祖国を守りたいという強い意志が実行されたのだ。
操縦の仕方もわからないような15、6の青年が特攻に駆り出され、無駄死にしたなどは嘘八百である。
実際は特攻を志願したものがほとんどであり、戦闘機パイロットのエリート達が祖国を守るために命をとして行っている。
事実、特攻隊を志願してもなれない者が多数いたのが真実である。
海軍大尉
関 行男
第一神風特攻・敷島隊
大正10年8月29日生。海軍兵学校70期。
昭和19年10月25日
『西条の母上には幼時より御苦労ばかりをおかけ致し、不幸の段、お許し下さいませ。
今回、帝国勝敗の岐路に立ち、身を以て君恩に報ずる覚悟です。武人の本懐此れにぐるものはありません。
鎌倉の御両親に於かれましては、本当に心から可愛がっていただき、其の御恩に報ゆる事も出来ず征く事を、お許し下さいませ。
本日帝国の為、身を以て母艦に体当たりを行い、君恩に報ずる覚悟です。
皆様御体大切に
父上様 母上様
行男
タクロバン沖の米空母に突入し戦死。
海軍少尉
植村 真久
神風特攻・大和隊
大正8年生、25歳。立教大学出身。
(注:妻に託した愛児への便りです)
『素子、素子は私の顔を能く見て笑いましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入ったこともありました。
素子が大きくなって私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代伯母様に私のことをよくお聞きなさい。
私の写真帳もお前のために家に残してあります。
素子という名前は私がつけたのです。
素直な、心の優しい、思ひやりの深い人になるやうにと思って、お父様が考へたのです。
私はお前が大きくなって、立派な花嫁さんになって、しあわせになったのを見届けたいのですが、
若しお前が私を見知らぬまま死んでしまっても、決して悲しんではなりません。
お前が大きくなって、父に会ひ度いときは九段へいらっしゃい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮びますよ。
父はお前は幸福ものと思ひます。生れながらにして父に生きうつしだし、他の人達も素子ちゃんを見ると真久さんに会っているような気がするとよく申されていた。
またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一の希望にしてお前を可愛がって下さるし、お母さんも亦、御自身の全生涯をかけて只々素子の幸福のみ念じて生き抜いて下さるのです。
必ず私に万一のことがあっても、親なし児などと思ってはなりません。
父は常に素子の身辺を護っております。優しくて人に可愛がられる人になって下さい。
お前が大きくなって私のことを考へ始めた時に、この便りを読んで貰ひなさい』
昭和19年10月26日 比島沖にて戦死。
お国を守るために命を捧げた靖国の英霊の方々は今の日本を見て何を想われるのであろうか。
きっと強い憤りと深い悲しみに震え、涙しながら我々日本人を叱咤するに違いない。
主な参考資料 なぜ韓国は反日か。http://www.koreanantijapan.comze.com/