福井県越前市の今立地区は、古くから紙漉きがさかんで、全国に数ある和紙産地の中でも1500年という長い歴史があります。そんな歴史と伝統の息づく越前和紙のふるさとに、国内でも珍しい”紙の女神さま“をお祀りする神社があるのをご存知ですか?
今から1500年程前、越前五箇という地区を流れる岡太川の上流に、一人の美しい女性が現れ次のような言葉を人々に伝えた。
「この村里は、谷間で田畑が少なく暮らしにくい場所ですね。ですが、清らかな谷川と緑深い山々に恵まれていますから、紙を漉いて生計を立てれば暮らしは楽になるでしょう。」
そして女性は村人に紙の漉き方を教えられた。
村人たちはたいそう感謝し女性に名前を尋ねると、「川上に住む者です」と答えたため「川上御前(かわかみごぜん)」と呼んで崇めた。川上御前は、万物を産み出し育てる水の神様とも言われ、子育ての神とも信仰されたそう。
そんな川上御前をおまつりしたのが「岡太(おかもと)神社」のはじまりだ。
こうして産まれた紙の神様が信仰を集めていった背景には、紙の需要増があった。
仏教の普及により写経用紙の需要が急増。また701年には大宝律令制度がはじまり、国は戸籍などの記録のため大量の紙を必要とした。質の高い越前和紙は重宝されたそう。
ちなみに正倉院には、730年に越前和紙に書かれた資料が保管されている。
この越前和紙の産業は、大瀧寺からの保護を受けて「紙座(かみざ)」という同業者組合を結成し発展していった。
時代は進み明治になると、神仏分離令で大瀧兒大権現は大瀧神社に改称。
それでも越前の和紙産業は衰えることなく、大正時代には大蔵省印刷局抄紙部に川上御前の分霊がまつられた。
岡太神社が、全国和紙業界の総鎮守と言われているのはこのためだ。
日本で初めて「お札(おさつ)」を作ったのも福井藩、また現在のお札に用いられている「黒透かし」技術も、越前和紙職人が開発したものだ。
決してメジャーな神社ではなかった岡本・大瀧神社がいま密かに注目を集めている。
その理由の一つが、他に類を見ない社殿建築だ。
特に注目されているのは屋根の作り。
この入母屋造りに千鳥破風に唐破風、そしてまた入母屋に唐破風が重なっていく屋根は、全国でも類を見ない。
世界的にも注目の建築物なのだ。
幾重にも波が寄せあうような檜皮葺きの屋根、獅子や龍などいたるところに施された緻密な彫刻の美しさは、まるでアート。1984年、その歴史的価値と類を見ない建築の美しさから、国の重要文化財に指定されました。参拝した際は、ぜひとも正面・左手・右手とさまざまな角度から、その複雑でユニークなフォルムの屋根や彫刻をじっくりと眺めてください。by.togo