手元に1つの卵があるとします。

ニワトリの卵よりもだいぶ小さく、何の卵かわかりません。

 

さて、ここが理科の実験室だったら、みなさんはどんな疑問をもちますか?

 

「これは何の卵だろう?」「どうやったら孵化するのだろう?」「卵の中はいまどんな状態だろう?」などの問いが浮かんできますよね。

 

理科実験室でも、生物実験室にいるのと、化学実験室にいるのと、物理実験室にいるのとでは、また浮かんでくる疑問が違いますよね。

 

「この卵は水に浮くのか沈むのか?」という問いは物理ですし、「この卵の殻を溶かすにはどんな水溶液が有効か?」と調べるのは化学です。

 

では、ここが家庭科室だったら、どんなことを考えますか?

 

「食べられるのかな?」「どんな料理がつくれるか?」「どんな栄養価があるのか?」「にわとりの卵とどっちがおいしいかな?」みたいに話題は無限に膨らみますよね。

 

では、数学の授業中だったら?

 

「この卵の体積はどれくらいかな?」とか、「卵形の放物線を描くにはどんな数式を立てればいいかな?」みたいな問いを立てることが可能です。

 

では、英語の授業中だったら?

 

英語では、鶏の卵のような堅い殻の卵はeggといいますが、魚やカエルが生んだ柔らかい卵はspawnといいます。イクラのような、まだ生み出される前の魚卵はroeです。egg plantといえば、ナスのことですよね。eggを使った慣用句を調べてみるのも面白いかもしれません。

 

と、1つの卵を題材にして、理科、家庭科、数学、英語など、それぞれの教科の立場を設定することで、いろんな問いが浮かびましたよね。

1つの卵を、いろんな角度から見ることができたということです。

これが学校の勉強が、「教科」に別れている理由です。

ちなみに理科というのは教科名。

物理、生物、化学、地学というのは科目名です。

 

世の中は教科別に分かれていなんていないんだから、教科別に勉強するなんてナンセンスだという批判がよくあるのですが、世の中を丸ごと俯瞰するなんてこと、いきなりはできないんですよ。

だから教科としていろんな角度から世の中を見る視点を得るんです。

いろんな教科を学ぶことで、いろんな角度から物事を見て、立体的に理解することができるようになるわけです。

 

逆にいうと、その教科の視点に立つと、世の中がどういうふうに見えるのかという実感さえつかめればいいんです。

それぞれの教科を愛して止まない先生が、数学の視点から観ると世の中はこんなに面白いんだぞとか、社会科の視点から観ると世の中はこんなにうまくできているんだぞとか、それぞれの視点から見える風景を生き生きと語ってくれたら、学校の授業はものすごく生き生きと楽しいものになるはずです。

 

それなのに、子どもたちは最終的にはテストでいい点数をとれないと、望みの学校に行けないからというある意味での思いやりから、テストでいい点をとらせるための授業をしてしまい、教科書の端っこに書いてあることまで覚えなさいとうるさく言うから、教科学習がとたんに楽しくなくなるんです。

 

悪いのは教科に分かれていることではなくて、学びの目的を、視点を得ることではなくて、テストで点をとることに置き換えてしまうことなんです。

 

テストは避けては通れないと思いますが、それでも何のために学んでいるのかを、子どもたちはもちろん、それを見守る大人たちも忘れないでほしいと思います。

 

 

※2023年9月21日のFMラジオJFN系列「OH! HAPPY MORNING」でお話しした内容です。