本日(8月21日)、新刊が出ました。

『人生で大切なことは、ほぼほぼ子どもが教えてくれた。』(集英社文庫)です。

新米パパとして約15年前に連載していた子育てエッセイの内容を、いま自ら採点する(点数はつけてませんけど)という、「おおたとしまさ反省の書」であり、また、時間をかけて熟成させなければ完成できない「タイムカプセル的な本」です。

その意味で、今回の本にはとても感慨深いものがあります。

私、もうすぐ50歳になるんですけど、自分の半生記のような本です。

文庫化にあたり、第二部として、その後さまざまなところに書き散らした子育てエッセイもまとめて収録しました。

「あとがき」でも書いたんですけど、この本を書かせてもらったことで、子育ての<第三幕>(下記「まえがき」参照)が終わったような気がします。

明日もし私が突然死んじゃっても、チビとヒメがいつかこれを読んでくれれば、それでいいかなって思えています。

「俺からの遺言みたいなもんだ」と言って、息子に渡しました。

発売を記念して、ここに「まえがき」と「目次」と「あとがきの一部」を転載します。

 

 

<ま え が き>

 

 子どもが「パパ〜!」って無条件に胸に飛び込んできてくれるのなんて、ほんの数年間。たとえば、小学校に上がる六歳くらいまでだとしましょう。

 子どもが生まれてから六歳になるまで、毎週の日曜日を子どもとべったりすごせたとして、それって自分の人生の何パーセントくらいにあたると思います?

 日曜日は一年間に約五〇回あります。それが六年間ですから三〇〇日です。一方、ひとの一生は約三万日などといわれます。単純に割り返してみると、たった一パーセント。自分の一生のうちたった一パーセントですよ。

 パパがパパでいられる時間は意外と短い。

 それに気づいてから、私のなかで時間の損益分岐点が変わりました。

 

 本書は、私の生涯二冊目の著書である『パパのネタ帖』(赤ちゃんとママ社)の復刻版です。二〇〇九年に出版された元本は、All Aboutというポータルサイトで約二年半続けた週刊連載「パパはチビのヒーローだ!」を抜粋・再構成したものでした。

 今回リバイバルするにあたって、元本の内容を転載するだけでなく、パソコンの中でほこりをかぶっていた古〜いフォルダから、もともとの連載の原稿一三〇本以上をすべて引っ張り出してきて、吟味して、追加しています。元本では連載から約三〇本のエピソードを転載したのですが、今回の本では約六〇本のエピソードを掲載しました。倍増です。お得でしょ!?

 これらのエピソードは、二〇〇六年一〇月から二〇〇九年三月までに書かれたものです。「イクメン」という言葉ができて、世の中に浸透していく時期とちょうど重なっています。

 長男である「チビ」は、ちょうど幼稚園生だったころです。長女の「ヒメ」は、まだ未就園児でした。私は、三〇代半ばの比較的若いパパでした。「ママ」は……、まいっか。詳しくは述べませんが、私よりだいぶ年上のしっかり者です。

 いま当時の原稿を読むと、恥ずかしい点、お見苦しい点がたくさんあります。時代背景的に、古いジェンダー・バイアスが前提になってしまっていた表現も散見されます。できるだけそのまま転載し、代わりにいまの私の視点から、「ふりかえり」として、いちいちツッコミを入れました。若かりし過去の自分へのひとり時間差ツッコミです。

 僭越ながら、現在私はさまざまなメディアで子育てや教育に関するコメントをしていますが、それはあくまでも長年の取材経験の賜物であって、私がひとりの親として、最初からそういう視野をもっていたわけではないことがおわかりいただけるのではないかと思います。

 一方で、ごく最近書いた本の表現とそっくりなことを、当時の自分がすでに書いていたことも、多々発見しました。初めてパパになって感じた戸惑いや、問題意識、そして信条を、これまで私はずっとそのまま抱え続けて生きてきたのだなと再確認しました。

 その後、名門校、中学受験、習い事、幼児教育、塾歴社会、教育虐待、不登校などなど、私が書く本のテーマはどんどん広がっていきました。いままで著した本はおよそ八〇冊です。

「おおたさんの書く本は、次から次へと違う方向を向いていますよね」と言われることもときどきあります。でも、私の感覚ではむしろ、いつも同じ問題意識に違う角度から光を当てて、その全体像を浮かび上がらせようとしているだけなのです。

 その原点が本書にあるといえます。

 今回の文庫化にあたっては、第二部として、「その後」の話も収録しています。

 第二部の第一章と第二章は、チビとヒメがそれぞれ一〇歳になったときに行った海外旅行記です。その最後には、「子育ての〈第二幕〉が終わったような気がした。〈第三幕〉が楽しみだ」というくだりがあります。

 乳児をおぶっている時期が〈第一幕〉。親子がほぼ一体化していますよね。「九つまではひざの上」というくらいの時期までが〈第二幕〉。親子が付かず離れずの距離感にいる時期です。そこから先が〈第三幕〉。子どもが親からどんどん遠ざかっていくように見える時期です。あくまでも私の感覚での勝手な分類です。

 その〈第三幕〉にあたる話として、第二部の第三章と第四章があります。どちらにも、チビもヒメも出てきませんが、親としての私の考えが込められています。

 第三章は、ヤングアダルト向け文学の「解説」として書いた文章です。実はティーンエイジャーになったチビとヒメに向けてのメッセージでもあります。第四章は、ある映画の「解説」として書いた文章です。ひと言でいえば、子離れの話です。

 ここまでくると、親として直接的に子どもに伝えるべきことは、もうあんまり残されていないなという気がしています。

 いろんな生き方があるというひとつのサンプルとして、私のこれからの人生を、子どもたちには見ていてほしいなと思います。子どもたちに見られて恥ずかしくない人生をおくることが、自分のモチベーションにもなっています。

 ここで「恥ずかしくない」っていうのは、社会的な成功とかとは関係なくて、あくまでもひととして恥ずかしくない生き方をするってことですね。それって何なんだろうというのも、私にとって大きなテーマなんですけど。

 そのお手本として、私が憧れる、ある実在の人物についての話を、第二部・第五章に収録しました。

 彼は、これからの時代に必要とされる人物像のロールモデルだと思います。子育てや教育の文脈では、「これからの時代に必要な人材は?」とか「これからの時代に必要な能力は?」のような話がよくなされますが、私の結論は、彼のようなひとを育てればいい、です。そのためには親自身も、彼のようなマインドをもって生きることが大事だと思います。

 つまり第二部・第五章は、いわば私のこれからの人生に対する所信表明みたいなものですね。いや、どんなに頑張っても、彼の足下にもおよばないことはわかっているのですが……。あくまでも努力目標ということで(笑)。

 さて、さっさと本編を読んでもらったほうがいいと思うので、ひとまずここまでにします。

 それぞれのエピソードが比較的短いコラムになっていますので、どこから読み進めていただいても構いません。タイトルを見て、気になるページを拾い読みしてもらっても構いません。私の信条の核みたいなものを手っ取り早く知りたいという場合には、第一部・第一一章から第二部までを読んでもらうといいかもしれません。

 各エピソードの時系列はバラバラです。会社員時代の話も出てきますし、独立して外に事務所があったときの話もありますし、自宅に事務所を移してからの話もあります。そのあたりの細かいことはあまり気にせずに読み進めてください。

 そもそも私がなぜ会社を辞めたのか、それによって生活にどんな変化があったのか、まさにAll About連載中の母の死、連載終了後始まった父の介護なども含めて、これまであまり公には語ったことのなかった本書の背景にあたる経緯については、巻末の「あとがき」で述べることとします。

 

 

<目 次>

 

第一部 チビはパパのヒーローだ! 

 序 章 あなたの育児はきっと「これでいいのだ!」

 第一章 おでかけはアドベンチャー!

 第二章 まちは子育てテーマパーク!

 第三章 公園は大自然だ!

 第四章 子育てはスポーツだ!

 第五章 他人のふり見てわがふり直す!

 第六章 パパは遊びをクリエイトする!

 第七章 子どもはみんな学びの天才!   

 第八章 おシゴト・おカネを語ろう!

 第九章 子育ては気のもちよう!

 第一〇章 ライフスタイルは自由自在!

 第一一章 〝願い〞よ届け!

 終 章 〝素の自分〞を取り戻そう!

 

第二部 しあわせな逆説

 第一章 息子が一〇歳になったらアフリカに連れて行く

     その目標があったから、僕はいま、ここにいる

 第二章 必要ならばキミの盾になろう

     だって僕は父親だから

 第三章 君にマイクの声が聞こえたら

 第四章 『旅立つ息子へ』が描く親子に普遍の摂理

 第五章 ロサドさんの木工小屋

     〜A Man for Others〜

 

 

<あ と が き>

 

 ずいぶんと忘れてしまうものだな……。それがいまの感想です。

 かつて自分が書いた一三〇本以上のエピソードを読み直して、すっかり記憶の彼方に置き忘れていた思い出を取り戻しました。アルバムをめくり返しても思い出せない、親子の心と心のふれあいの感触が甦りました。原稿を整理しながら、何度も落涙しました。文章に残しておくって、大切ですね。

 当時は自分でも必死だったのですが、こうやってふりかえってみると、ほんと、ダメダメでしたね。自分勝手で気分屋で、陶酔系のパパでした。お金で解決しすぎだし。いまならもうちょっとましなパパをできるような気がします。まあ、親の成長って、そんなもんですよね。子どもの成長を追いかけるようにして、あとから親も成長する。それがいまの実感です。

 いまもうひとつ思うのは、そしてこれが本書をリバイバルした理由なのですが、新米パパとしてチビやヒメとすごした時間のなかで、「子どもはどうやって学ぶんだろう?」「子どもが成長するってどういうことなんだろう?」「そのために大人たちにできることって何だろう?」という問いが私の中に大量に溜まっていったんだなということです。それが私の数々の著作の原材料です。

 たとえば第一部・第三章の「公園は大自然だ!」なんて、二〇二一年の『ルポ森のようちえん』(集英社新書)のメッセージそのものです。

『ルポ名門校』(ちくま新書)をはじめ、たくさんの学校を取材してきましたが、一方で『不登校でも学べる』(集英社新書)を著すことで、学校の限界にも気づきました。いまの学校は多機能になりすぎているので、分解して、各機能をもういちど社会に戻していく必要があるのです。

 そこで自分にできることは何かと考えたときに、駄菓子屋さんになることをひらめきました。若いころは教員に憧れて、いつか自分の学校をつくれたらいいな、なんて妄想までしていましたが、巡り巡って、駄菓子屋さんのおじさんのほうが自分には向いていることに気づきました。

 その発想の原点は、やはりチビやヒメとの駄菓子屋さん体験にあります。

 仕事を通じて、子育てについて、教育について、知れば知るほどに、また、親をやればやるほどに、親にできることってほとんど何もないんだなという、爽やかな無力感を覚えるようになりました。

 考えてみれば当たり前です。子育てって、子が親を必要としなくなるように仕向けていく営みなんですから。

 そもそも私は教育学の権威でもなければカリスマ教師だったわけでもありません。ましてやわが子を続々と最難関大学に合格させたなんて経験はないし、そこには興味がありません。そんな私がなぜ教育を語っているのか。なぜこれまで八〇冊以上もの本を書いてきたのか。私にも謎です。

 自分のプロフィール原稿をつくるときいつも、書くことがなくて困るんです。「なんでこいつが教育を語ってるんだ?」という問いに答えるだけの学問的あるいは実践的バックグラウンドが、私にはないんです。その意味で本書そのものが、私の、超長い著者プロフィールなのだともいえるかもしれません。「私はこういう者です」という自己紹介です。

 というわけで結局のところ、私はどこにでもいる、ただの子ども好きなおじさんです。そんな何でもない立場から、私はただ、純粋な興味で、教育の現場を観察してそれを記述しているだけです。

 だいぶおこがましいですけれど、『シートン動物記』や『ファーブル昆虫記』を読むような気分で、私の本を読んでもらいたいと思っています。シートンやファーブルが生き物たちの命の営みを観察するのが大好きだったように、私は、教育現場における命の営みを観察するのが大好きな、いわば「教育観察者」です。

 みなさんの代わりに歩き回って、のぞき込んで、記録する。私のことは、そんな「記録係」だと思っていただければ幸いです。だから、私の本をいくら読んだって、「答え」なんて書いてありません。そこを期待されても困ります。

「答え」はきっと、みなさんの中にあります。私の本はそれを引き出す、せいぜい「ヒント」になるだけです。

 

(15ページ分ほど中略)

 

 あとがきのつもりが、つい、自分語りが長くなりました。これまで自分のことなんてほとんど書いたことなかったのに。これも年をとったということなのでしょうか。

 さて、一〇〇冊・一〇〇万部を達成したら、駄菓子屋さんを始めます。

 きっと駄菓子屋さんが私の天職で、いままで本を書いたり、メディアに出たり、いろいろしたことすべてが、駄菓子屋さんになるために必要な回り道だったとわかる日が来るんじゃないかという予感がしています。

 なんとなくこの本のしめくくりにふさわしいかなと思って、冒険家の星野道夫さんの言葉を紹介します。

 

 一つの体験が、その人間の中で熟し、何かを形づくるまでには少し時間が必要だ。

 子どものころに見た風景が、ずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり、さまざまな人生の岐路に立った時、人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり、勇気を与えられたりすることがきっとある。

(星野道夫『長い旅の途上』より)

 

 この本を書かせてもらったことで、子育ての<第三幕>(12ページ参照)が終わったような気がします。明日もし私が突然死んじゃっても、チビとヒメがいつかこれを読んでくれれば、それでいいかなって思えています。

 ありがとうございました。

二〇二三年六月 おおたとしまさ

 

 

※集英社のサイトでも31ページまで「試し読み」ができますよ!