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習い事や塾や志望校選びなどに関して、できるだけ子どもの意思を尊重したいとは思うが、本当に子どもに任せちゃってもいいのでしょうか?という質問をされることがときどきあります。

 

子どものことは、親が勝手に決めるのではなくて、子ども本人の意思をしっかり確認して、親子でよく話し合って決めましょうというのが最近の子育てのスタンダードになっています。

 

でも、子どもは世の中のことを知りませんし、十分な選択肢を知っているわけでもありません。判断力も十分ではありません。

 

一方で、親は、子どもを“まっとう”に育てなければいけないという責任感を必要以上に重く感じています。だから、どうしても親が、自分の価値観で、自分の知っている範囲での選択肢の中から選ぶようにと誘導してしまいがちになります。

 

たとえば、子どもを先頭にして山道を歩くとします。目的地まで、Aルートを通ったほうが早いのは大人の視点からすると明らかなのに、子どもはBルートを選択しちゃったりします。そんなときにどうしますか?

 

ある有名私立中高一貫校の伝統行事で、実際にこういうことをするんです。地図を見ながら子どもたちが山の中を歩きます。先生もついていますが、あくまでも付き添いで、子どもたちがどんなルートを選んでも黙って着いていくだけです。Bルートを選んでも、先生は黙って着いていきます。「うわー、遠回りじゃんかよ。疲れる……」とか内心思っていることでしょう。

 

いずれ子どもたちが気づきます「あれ、なんか遠回りだったんじゃね?」って。そこで自分たちがなぜさっきの分岐点でAルートではなくてBルートを選んでしまったのか、反省して、判断の仕方について学ぶかもしれません。それはひとつの学びです。

 

よく失敗から学ぶっていいますし、失敗して、正しい方法を学び直すという方向に特に学校教育なんかでは誘導しがちです。でも、ちょっと待ってください。Bルートが失敗だとは限らないですよね。

 

Bルートを通ったことで、見たこともない美しい花を見ることができるかもしれません。ガイドブックには載っていない絶景ポイントに出くわすかもしれません。遠回りしたことで、逆に助け合いの精神が生まれて、グループの仲が良くなるかもしれません。いわゆる「人生すべて塞翁が馬」というやつです。

 

「遠回りだったけど、結果オーライじゃん!」というのも大いにありですよね。その山登りを人生に例えるなら、むしろ塞翁が馬作戦のほうがうまくいくような気もします。判断力が未熟だろうが何だろうが、自分が進むことになった道でこそ得られるものを得ていければ、その道が結果的に自分にとっての正解だったことになるわけです。

 

何が言いたいかというと、子どもを“まっとう”に育てなければいけないという責任感から、親はつい“正しい”選択はどれなのかと見極めることに一生懸命になりすぎてしまうのですが、実際はどんな選択をしても、不正解ってことはほとんどないってことです。仮に子どもが遠回りな道を選んでも、そこでこそ子どもが得たことに注目して、「良い物を得ることができたね」と言ってやればいいんです。

 

まあさすがに、「そっちに行ったら崖」というほうに走り出したら、タックルしてでも止めますけどね。本当に命の危険があるようなことでなければ、子どもはどんな回り道をも糧にするのだと思います。それを見守る大人に、もめごとを糧にする知恵と心の余裕さえあれば。ここがポイントなんだと思います。

 

でもまあ、どんな選択肢にどんな意味合いがあるのかは、親としては知っておいたほうがいいとは思います。よろしければ先週発売されたばかりの拙著『子育ての「選択」大全』(KADOKAWA)を参考にしてみてください。

 

※2022年9月22日のFMラジオJFN系列「OH! HAPPY MORNING」でお話しした内容です。