明日は国立大学の2次試験ということで、受験シーズンもいよいよ大詰めですが、中学受験や高校受験で頑張って金星を挙げた子どもの親ほど心配していることがあるようです。

 

それは、偏差値的にはギリギリで志望校に滑り込むことができたけど、果たしてその学校でやっていけるのか? いきなりクラスでビリ、学年でビリの成績をとってきたらどうしよう? というものです。

 

考えてみてください。わが子が念願叶って入れた学校で、1年生の1学期の中間テストで、いきなりクラスでビリの成績をとってきたら、親としてどんなことばをかけますか?

 

中学受験業界には、いやーな表現があります。「深海魚」っていう言葉を隠語のように使うんです。どういう意味かわかりますか?

 

ずーっと成績が下のほうで低迷している状態の生徒のことをこう表現するひとがいるんです。無論、私はこの表現が嫌いです。

 

1学年で300人いる学校で、一斉に同じテストをすれば、1番から300番まで順位は出ます。当然ビリが存在します。

 

でも、優秀な子どもたちが集まる母集団の中でビリであったとしても、本人が努力している限り、何が問題なのでしょうか。逆に1番であっても、まったく努力をしていなかったり、成績を鼻にかけてひとを見下すようなそぶりをしていたりしたら、そのほうが心配ではないでしょうか。

 

あまり優秀な子が集まる学校に入ってしまってそこでビリのほうになってしまうことで自己肯定感が下がってしまうようなことがあったらいけないという意見もときどき聞くのですが、ビリになることと自己肯定感が下がることを直結させる理屈も危険です。

 

ビリになったことによって、親からこっぴどく叱られたり、友達からバカにされたりすればその結果として自己肯定感が下がることはあるかもしれませんが、それは、テストの順位くらいで叱ったりバカにしたりするほうが悪いでしょう。

 

そもそも少なくとも中学受験をして入るような難関校のほとんどにおいては、特に低学年のうちは1番からビリまでの順番を実名で発表したりはしません。ビリだからってまわりからバカにされるようなこともありませんし、先生たちだって、ビリの子を叱ったりバカにしたりはしません。

 

あるとすれば、成績分布表を見て、「おまえの成績、ビリじゃないか!」って親が怒るケースでしょう。逆に言えば、親がそうやって子どもの成績を否定しなければ、ビリになったからといってすぐに自己肯定感が下がることはないはずです。そもそも憧れの学校で、自分の学力ではすれすれ合格だったであろうことは自分だってわかっているわけですから、その母集団の中で下のほうでも、いきなりショックを受けたりはしません。

 

その点で言うと、ギリギリ合格の自覚がある子は、最初から割とテスト勉強を頑張ったりするので、実際にはギリギリ合格よりもちょっと上で受かった子のほうが、危機感がない分、危険ということもよくあることなんですが。

 

さて、いきなりクラスでビリの成績をとってきたら、親としてどんなことばをかけるべきかという問いに対する私の案を述べましょう。

 

「へー、そうか、太郎の新しい学校のお友達は、みんな優秀なんだなあ。優秀な友達に囲まれて幸せだなあ。困ったときにはみんなが助けてくれるだろうから、友達を大切にするんだぞ」で、いいと思いませんか?

 

欲をいえば「勉強の面ではみんなに助けてもらっても、太郎の得意な分野でお友達を助けて上げられるといいよね」と、付け加えてもいいでしょう。

 

目の前にビリの子がいて、それが悪いことだとするのなら、悪いのはビリの子ではありません。テストで順位を付けること自体が悪いのです。

 

もちろんちょっと頑張ればビリは抜け出せるはずだと伝えることも大事だと思いますが、少なくともビリをけなす必要はないでしょう。そんなことをしたら、自分がビリを抜け出したとしても、代わりにビリになったひとを馬鹿にするひとになってしまいます。それは親が子に伝える教育的メッセージとしては最悪だと私は思います。

 

※2022年2月24日のFMラジオJFN系列「OH! HAPPY MORNING」でお話しした内容です。