先日、映画「プーと大人になった僕」を見ました。主演は、「トレインスポッティング」ではさまよえる若者を演じ、「スターウォーズ」では大宇宙を舞台に戦うヒーローを演じたユアン・マクレガー。家庭と仕事の板挟みに悩む父親に、くまのプーさんが、「それは風船より大事なもの?」と尋ねます。舞台は戦後間もないイギリスですが、現代の日本の父親の置かれた状況とも共通点が多く、ワーク・ライフ・バランスに悩んでいるお父さんが見たら、思わず落涙してしまうシーンもたくさんあるはずです。おすすめです。

 

そこで今回は、父親として観るとグッと来ちゃうおすすめ映画を紹介します。

 

 

機転とユーモアで絶望から家族を守る

『ライフ・イズ・ビューティフル』

第2次世界大戦中、ナチスの強制収容所に連行されたグイド一家。5歳の息子を守るため、グイドは息子に壮大な嘘をつくことを思いつく。地獄のような日々の中で、息子には笑顔で嘘をつき続け、死の恐怖を一歩たりとも近づけないグイド。腕力でもなく、財力でもなく、機転とユーモアで子どもを守るめちゃめちゃ強くてやさしいパパの話し。おおたの理想のパパ像。 パパものに限らず、全ての映画の中で、おおたが最も好きな映画のひとつ。

◎おおたがいちばん泣いたシーン...強制労働の列からこっそり抜けだし、収容所の放送室に忍び込み、マイクのスイッチを入れて、隣の女性収容所にいるママに呼びかけるシーン。「昨日君の夢を見たよ。映画に行く夢だ」。続いて息子もママに呼びかける。そして、それを聞いたママもグイドと息子の無事を知り、生きる意欲を蘇らせる。書きながら思い出すだけで、うるうるときてしまう......。 

 

 

ろくでなしの息子を最後まで信じ、戦う

『父の祈りを』

父・ジュゼッペの助言を何一つ聞かず、定職にも就かず、ヒッピーを気取るアイルランドの青年ジェリー。そんなジェリーがイギリスで、パブ爆破の実行犯としていわれなき罪で投獄されてしまった。息子のえん罪を晴らそうと活動するジュゼッペもまたイギリス警察に目を付けられ、テロ組織の一員としてジェリーと同じ牢獄に入れられる。牢獄での単調な生活に自らを失いそうになる息子を、ときに叱咤し、ときに励まし、支え続ける父・ジュゼッペ。ジュゼッペは牢獄の中からも弁護士と連絡を取り、えん罪を晴らす活動を続けていた。しかし、そのジュゼッペが......。「ギルフォード・フォー事件」を題材にした実話。

◎おおたがいちばん泣いたシーン......牢獄の中、ジュゼッペの体調が悪化し、死を感じ取った親子。それまで反発してばかりだった父にはじめてやさしい声を掛け、励ますジェリー。震える声でジュゼッペが言う「死ぬのは怖くない。ただ、母さんを一人置いて死ぬのが怖い。牢獄に入れられたって、僕は毎日、心の中で母さんと丘に散歩に出かけていた。その母さんをひとりにして先に死ぬのが怖い......」 

 

 

家族を守るためならプライドなど不要

『シンデレラマン』

妻と子ども3人、ファイトマネーで何不自由ない生活を送っていたプロボクサー・ジム・ブラドッグは右手の故障で引退を余儀なくされた。放り出された世間は未曾有の大恐慌。肉体労働で日銭を稼ぐが、電気代も払えず、子どもたちに十分な食事をあたえることもできなくなった。どん底の中、殺人ボクサーとの一夜限りのプロ復帰戦のチャンスが巡ってくる。勝ち目はないどころか、自分も殺されるかもしれない。しかし、ファイトマネーがもらえるなら......。ただ、家族の食べるもののために、腹ぺこのまま殺人ボクサーの待つリングに向かうジム......。実在のボクサー、ジム・ブラドッグその人を題材にしたノンフィクション。

◎おおたがいちばん泣いたシーン......妻は子どもたちを親戚の家に預けるという苦渋の選択をする。しかし、ジムは怒り狂う。「何があってもお前たちと離れたりはしない」と固く約束をしていたからだ。しかし、カネはどこにもない。子どもたちを連れ戻すために彼は、金持ちの集まる社交場で、物乞いを始める。そのシーンが泣ける。かわいそうで泣くのではない。 「カッコなんてつけなくていい。どんなことをしてでも家族を守る」 パパとしての覚悟にじーんとくるのだ。 

 

 

幕末シングルファーザーの究極ワークライフバランス

『たそがれ清兵衛』

舞台は幕末の東北地方。病で妻を亡くし、幼い娘2人と、認知症の実母の世話を1人でこなす清兵衛。いわゆるシングルファーザー。下級武士として、城内でいわゆるサラリーマン的職業をしている。たそがれどきの鐘がなると、飲みの誘いも断り、まっすぐ家に帰る毎日。しかし、ひょんなことから剣の腕前があることがばれ、藩の命令によって、剣の達人と果たし合いをすることになってしまう。藩の命令に逆らえば仕事をクビになる。果たし合いに負ければ自分の命はない。幼い娘や母親はだれが面倒を見てくれるのか...。究極のワークライフバランスを迫られ、清兵衛は小太刀を研ぐ。

◎おおたがいちばん泣いたシーン...ネタバレするのでいちばん泣いたシーンは書けません。でも、二番目に泣いたシーンは、これから果たし合いに行くという朝、私塾に行く娘たちにはそのことを告げず、いつものように見送るシーン。その後ろ姿が娘たちを見る最後になるかもしれないのに...。ただ、壮絶な果たし合いのシーンよりあとは、無駄なカットやナレーションが多かったと思う。

 

 

ホームレス父子の奇跡の大逆転

『幸せの力』

事業に失敗し、妻に逃げられたクリス。しかし、クリスは5歳の息子だけは妻にも手渡さなかった。父親を知らずに育ったクリスは、息子には絶対にそんな思いはさせないと誓っていたからだ。滞納していた税金を強制的に徴収され無一文になり、焦りと不安から、いつもはやさしいクリスが息子に当たり散らす場面もある。 ホームレスにまで追い詰められる父と息子がそこからどのように這い上がるのか......。サンフランシスコでの実話をもとにしている。

◎おおたがいちばん泣いたシーン......地下鉄のトイレで夜を過ごし、不審に思った駅員にドアを激しくノックされながら、クリスはただ、なすすべもなく、息子を抱きしめて涙を流すシーン。そして、息子ともども行き倒れになるのではないかという長い長い不安、恐怖、緊張から解放された瞬間、クリスの目にじわりとにじみ出る安堵の涙にもらい泣き。 

 

 

父親であろうとする純粋な気持ち

『I am Sam/アイ・アム・サム』

サムは知的障害を持つ男。そのサムがアクシデントのように父親になってしまった。母親は出産直後に失踪。お金の計算も読書もままならないサムだが、友人たちの協力を得て、娘のルーシーを育てるが...。ルーシーが7歳になったとき、ソーシャルワーカーによって「父親としての能力に欠ける」と判断され、ルーシーを奪われてしまう。かけがえのないルーシーをサムはどうしたら取り戻せるのか。

◎おおたがいちばん泣いたシーン......自分がサムよりも上手に本を読めることにためらいを感じ、本を読もうとしないルーシー。それを見たサムが憤りながらも、「ルーシーが上手に本を読めるようになることがうれしいんだ」と父親として普遍の思いをたどたどしいことばで必死に伝えるシーン。父親としての自分の能力の限界に気付きながらも父親であろうとするサムの純粋さに父親としての喜びの核を見た気がする。

 

 

9.11で父親を亡くした少年の大冒険

『ものすごくうるさくてありえないほど近い』

9.11で大好きな父親を失ったオスカーは、父のクローゼットからひとつのカギを見つける。自分へのメッセージに違いないと感じたオスカーは、鍵穴を見つけるための地道な冒険に出る。正直、トム・ハンクス&サンドラ・ブロックと聞いて、最初は陳腐なハリウッド映画かと思った。しかし、違った。ふたりの有り余るネームバリューのせいで、かえってこの映画の素朴さ、まっすぐさが伝わりにくくなっているような気すらする。・・・何が言いたいかというと、トム・ハンクスとサンドラ・ブロックというビッグネームなんてどうでもいいくらい、いい映画だということ。世界観を作り出しているのが、「間借り人」役で出演し、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされているマックス・フォン・シドーと主演の新人子役トーマス・ホーン。それぞれ不器用な役を演じるふたりのかけあいが、なんともいえない味わい深さを醸し出す。子どもにとって父親が、妻にとって夫が、どれだけ大きな存在か。父親自身、夫自身が忘れていることが多くある。自分を過小評価しているということ。子どもや妻ほど、自分のことを大きな存在と感じてくれている人は、世界中どこにもいないはず。

◎おおたがいちばん泣いたシーン...主人公オスカーが苦しむのは、父親を亡くした悲しさだけではないことを告白するシーン。

 

 

突然ママに出て行かれたら...

『クレイマー、クレイマー』

家庭をかえりみず、仕事一辺倒のテッドが帰宅すると、ジョアンナが荷物をまとめて家を出て行った。何も知らないビリーはベッドですやすや。そして、翌朝からテッドの奮闘が始まる。慣れない家事や育児に振り回され、出世にも失敗したテッド。しかし、テッドとビリーの間にはいつしか深い絆が結ばれていた。と、父子生活も板に付いてきたそのころ、ジョアンナがビリーを引き取りたいとテッドの前に現れる。「誰かの娘や妻ではない自分自身を見つけたい」というジョアンナのことばは現代のママたちにもそのままあてはまる気持ちではないだろうか。

◎おおたがいちばん泣いたシーン......裁判で負け、ビリーを引き渡すことになったテッド。そのことを聞かされ泣きじゃくるビリーに、ママのところで楽しく過ごすんだと諭すシーン。やっと気付いた父親としての喜びを奪われるテッドの悲しみと、パパとママの両方の愛情を痛いほど感じながら、大人の都合に翻弄されるビリーが味わう無力感が同時に迫ってくる。