ここ数日「いきなり、おわりに」と題して拙著の「おわりに」をこのブログに転載していますが、これできる範囲で続けていこうかなと思います。「おわりに」に限らず、拙著から著者として気に入っている部分を抜粋転載するという形で。要するにこのブログを読んでいれば、おおたとしまさの著書の美味しいところをあれこれ立ち読みできるみたいな。気になる本があったらぜひご購読ください!

 

今回は、『子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?』(2013年、日経BP社)です。この本からも、中学入試や高校入試が出題されました。

 

 

 

 子どもにもっと勉強させるために本書を手に取ったという人がいるかもしれません。しかし、仮に子どもが本書を読んだとしても、期待するような効果はきっとすぐには現れないだろうと思います。勉強すべき理由がわかることと、勉強したくなることとはまた別の話だからです。

 ただし、効果はすぐには表れないだけで、必ずいつかは表れるだろうと思います。そのときがやってくるのは、1年後かもしれませんし、5年後かもしれませんし、もっとずっとあとになるかもしれません。本書を読んだ子どもたちの心の中に、なんらかの小さな種がまかれ、それがいつか芽吹き、花を咲かせれば、たとえ本書がきっかけだったということを本人がすっかり忘れてしまっていても、それでいいのだと思います。

 すぐに変化が起こるとしたら、大人のほうではないかと思います。本書を読んで、勉強や教育の目的に対する思い込みや勘違いを思い知らされた大人の読者は多かったのではないかと思います。

 長らく日本の教育について議論が空回りを続けているのも、勉強や教育の目的が十分に議論される前に、手段ばかりが論じられているからではないでしょうか。そもそも教育の目的は何なのか。8人の識者の方々の言葉は、その問いに対するヒントにもなっているように思います。

 

 日本で「教育」という言葉が使用されはじめたのは明治時代以降です。英語のeducationに対する訳語として発明されました。しかしのちに福沢諭吉は「文明教育論」の中でそのことを嘆いています。

 要約すれば、「世界万物についての知識を完全に教えることなどできないが、未知なる状況に接しても狼狽することなく、道理を見極めて対処する能力を発育することならできる。学校はそれこそをすべきところであり、ものを教える場所ではない。だからそもそも『教育』という文字は妥当ではない。『発育』と称するべきである」ということです。

 もともとeducationの語源はラテン語のdocere(引き出す)であるという説があります(アルク語源辞典より)。子どもにインプットするのではなく、アウトプットさせるように仕向けるという意味です。

 それが正しいとするならば、「未知なる状況に接しても狼狽することなく、道理を見極めて対処する能力」こそ、どんな状況の中でも「生きる力」であり、それを引き出すことこそがeducationの本来の意味だといえるのではないでしょうか。だとすれば、大人がすべきことは、子どもに「生きる力」を授けることではなく、子どもの「生きる力」を引き出すことであるといえるはずです。

 アフリカのサハラ砂漠に生まれた子も、アラスカの氷原に生まれた子も、南太平洋の孤島に生まれた子も、みな同じように笑い、学び、健やかに育つ力をもっています。世知辛いコンクリートジャングルに生まれ落ちた子どもたちにも同じ力があるはずです。

 「これからは先が読めない時代」などとよく言われますが、慌てることはないと思います。人類史上、先が読めた時代を生きた人間がどれほどいたでしょうか。そもそも人間は、先の読めない時代に臨機応変に対応し、生き抜けるようにできているはずです。だから何百万年も進化し続けてきました。そして今を生きる子どもたちにもその能力が、生まれながらにして備わっているはずです。それを引き出してあげられればいいはずです。

 正解のない問いに対したときこそきっと「いかなる状況に接しても狼狽することなく、道理を見極めて対処する能力」が必要です。そのようなときに、大人が「考えてもしょうがない」と言って考えるのを諦めてしまったり、無理矢理「正解のようなもの」をねつ造してしまったりしたら、子どもたちの「生きる力」は引き出せないでしょう。

 逆にそのようなことを親子で語り合うことはまさに、子どもの「生きる力」を引き出すことになるのではないかと思います。「なぜ勉強しなきゃいけないの?」というような問いはそのためにあるとも考えられます。

 そしてどうしても答えがわからないときは、まず大人が、「どうなるかわからないのだけど、どうなるかわかるまでやってみようと思う」というような姿勢を示せばいいのではないかと思います。言葉にできないことを生き様で示すということです。もしかしたら、子どもがいちばん欲しているのはそういうことなのかもしれません。

 

 

2013年  おおたとしまさ