パワハラ、セクハラなど大人の権利を守る意識は高いのに、子供に対しては死んでもおかしくないことをしても「愛情があればよい」「信念があればよい」って社会。子供の人権より大人の権利が優先される社会で子供が育ちやすいわけがない。

「今回はたまたま……」「子育てにストレスはつきもの……」で児童相談所が親の責任を不問にして、結局子供が被害に遭う悲惨なケース、今までいくつ見てきた? そういうときには私はネット上で話題にしたりはしないけど。

「ついかっとなっちゃっただけ……」といわれるように子育て中には冷静さを失う、魔が差す瞬間がある。だからこそ、普段から「これは絶対ダメ」と明確な線引きを親は自分自身に染み込ませておかないといけないことがある。「置き去りは絶対ダメ」もその1つ。

飲酒運転と同じ。「自分は大丈夫」という人ほど危ない。「大丈夫」という判断自体を、大丈夫じゃない状況でしているから。

今回の事件は、お父さんの見た目や態度がいい人そうだから、みんな「大丈夫なんじゃない?」という気持ちになっているだけではないだろうか。お父さんがチンピラみたいな格好だったり、ふてくされた態度だったら、「逮捕しろ!」って声が多かったんじゃないか。

そういう主観に左右されない客観的な手続きが、こういう場合は必要。今回のケースでは警察が事情聴取したうえで、不起訴が決まったとのこと。それはそれで客観的で正しい手続き。あとは児童相談所によるサポートが適切になされることを願う。

大概の虐待死は、今回のように大々的に報道されることはなく、忘れられるのが現実だ。「たまたま不幸な家庭で起きてしまった事件」として、社会的な関心を集めることはなく、一般化されることもなく、同じことがくり返される。

虐待で子供が殺されたというニュースが新聞の片隅に載れば「ひどい親だ」でおしまい。死んでいてもおかしくない状況に子供を置き去りにしても結果オーライならば「よその家のことに口出すな」でおしまい。それでいいのか。

子供は自分の人権を主張することができない。子供の人権は大人が意識的に守ってやらなければならない。子供の人権に対する社会的意識を涵養する数少ない機会を生かすのが大人の責任ではないだろうか。

このような事件を「個人の感想」でとどめるのではなく、「社会としてどう受け止めるのか」という視点からとらえることが、少しずつ社会を良くしていくコツだと思う。それをしないから、大事件が起きてから慌てて「法律」をつくる羽目になるのではないか。

参考まで、国連の「子どもの権利条約」とそれに基づく「リヤド・ガイドライン」のURLを示しておく。日常的に子供にかかわる人は、一度は目を通しておいたほうがいいと思う。
 
・子どもの権利条約全文
http://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_rig_all.html
・リヤド・ガイドライン日本語訳(訳者:平野裕二)
http://homepage2.nifty.com/childrights/international/juv_justice/riyadh_guidelines.htm