首を突っ込みたくはなかったが、この記事を見て、ひと言だけ書くことに決めた。
http://blogos.com/article/141645/forum/

常見氏はひとり親家庭出身の当事者としての違和感を述べたまで。感情的すぎた部分や、彼独特の余計な表現はあったと私も思うが、基本的に常見氏は、キャンペーンを中止せよなどといっているわけではない。当事者として見下されているように感じる表現があるので配慮してほしいと述べただけ。

それに対し、駒崎氏が信念をもってこれをやっているのなら、部分的に異論を唱えられたとしても、「そういう意見もあることは承りました」で済む話。それなのに、「常見さんも「意識高い()」等と、若者を揶揄しているお時間があったら、ぜひ実際の社会問題に何らかアクションされたら如何ですか?」と、常見氏の言論活動をあたかも「暇」のような表現でちゃかし、「あなたは口だけ」といわんばかりの切り返しをした。

これはNGでしょう。この点に関しては駒崎氏はちゃんと謝るべきだと思った。でもまあ「お互い様」と思って、スルーしていた。

しかし上塗りをするように、この記事。

「配慮が足りない」と指摘されたことに対し、シリア難民の話まで持ち出して、自分の正当性を主張する。常見氏のそもそもの主張をまっとうに受け止めず、まさに「トピックをずらし」、常見氏を、ひとり親支援を邪魔する存在例に仕立て上げている。

この論法では、異論を唱える者はみな、社会正義の足を引っ張る悪者ということになる。違和感すら言えなくなる。社会正義を盾にした言論封殺だ。

ここまでやるところを見ると、常見氏の指摘が意外に図星だったのかもと思えてきてしまう。今回の駒崎氏の態度には、橋下徹に通ずるものを感じた。