議論のルール

テーマ:


Aという問題が生じて、その解決策としての意見が2つに分かれたとする。
自分の意見の正当性を主張したり、相手の論理の飛躍を指摘するのは建設的議論だが、自分と異なる意見をもつ「人たち」そのものを非難するのはただの喧嘩。
多くの夫婦喧嘩が、最初は些細な意見に違いから始まり、しまいにはお互いに対する人格非難・人格否定にまで発展してしまうのと同じ。
「なんでそんな風に考えるんだろう、バカなんじゃないか」「なんでそんな風に振る舞うんだろう、アホなんじゃないか」などと思う気持ちはわかるが、逆から見ればお互い様だ。
ついこの間までの国家的な議論も夫婦喧嘩の様相を呈していたし、今もそれによるわだかまりが残っている。
自分とは異なる意見をもつ人々に対する「耐性」の問題である。
社会全体として、この耐性が弱まっているような気がする。
危険だ。
Aという問題そのものに焦点を当てている限り、建設的な議論をいくら戦わせても戦争にはならない。
しかし下手な夫婦喧嘩みたいに、自分と意見の異なる人たちそのものを非難の対象にすると、憎しみが広まり、戦争に発展する可能性が生じる。

※公人や政党、および彼らの発言・法案などはこの場合の「人たち」には含めない。彼らは議論の対象になるべき存在であり、「Aという問題」そのものになり得る。