『木を植えた男』と教育の成果

テーマ:


 大好きな絵本の一つに『木を植えた男』がある。実は比較的最近知ったのだが、私が今まで知らなかっただけで、きっと名作なのだと思う。
 荒れ果てて、人々がいがみ合って暮らしている土地があった。その外れで、家族を亡くした1人の老人が、毎日100粒のドングリを植える生活を送っている。数十年の時を超えて、荒野は豊かな森となった。小川のせせらぎ、人々の笑い声がよみがえった。でも、それがたった1人の老人の不屈の精神によって成し遂げられたことであることを誰も知らない・・・・・・。そんな話だ。
 引用する。

ところで、たった一人の男が、
その肉体と精神をぎりぎりに切りつめ、
荒れはてた地を、
幸いの地としてよみがえられたことを思うとき、
わたしはやはり、
人間のすばらしさをたたえずにはいられない。
魂の偉大さのかげにひそむ、不屈の精神。心の寛大さのかげにひそむ、たゆまない熱情。
それらがあって、はじめて、すばらしい結果がもたらされる。
この、神の行いにもひとしい創造をなしとげた名もない老いた農夫に、
わたしは、かぎりない敬意を抱かずにはいられない。

 その偉業を知られることなく、彼は生涯を終える。お金もなければ名誉もない。でも、誇りは胸一杯あったと思う。高潔なる人生とはこういうことだと思う。

 閉塞感に満ちた社会においてはとかく、一打逆転のホームランを狙って大振りをする人たちが登場する。彼らはヒーローになろうとして、「待ったなし!」とか「スクラップ&ビルド」などと声高に叫ぶ。

 そんなの嘘だ。

 本当に世の中を変えられるのは、地道な、他人の目には見えない内面的な努力を、ずーっと積み重ねてきた名もない人たち。今の世の中に必要なのは、大なたを振るうド派手なパフォーマンスではなく、地道な苦難の道を一歩一歩歩もうとする覚悟だと思う。

 このことは教育にも通じる。

 高潔な魂を持つ名もなき教師が、高潔な魂を持つ名もなき人物を育てる。そして社会は良い方向へとじわりじわりと変わっていく。その成果が出るのは、百年後、千年後かもしれない。それでもじわりじわりと伝えていくしかない。そして、その成果が出たとき、その成果が何によってもたらされたのかを知る人は誰もいない。自然にそうなったのだと誰もが思う。それが、教育の力。

 名声を求めるなら教育に携わらないほうがいい。本当に価値ある教育の成果は、生きている間には表れたりしないから。成果が表れたって、それが誰のおかげだなんて、誰も気にしないから。それでもいいという人のみが教育に関わればいい。「あれも、これも、俺が仕掛けたんだ!」って生きている間に自慢したい人は、教育改革などに関わらないでほしい。優先順位が狂うから。

 教育の成果が表れるのには時間がかかるのだ。2年とか3年とかではなく、100年とか200年という単位で。


木を植えた男/あすなろ書房
¥1,728
Amazon.co.jp