ビジネスの世界では最短時間で最大効果を出すことがいちばん偉くて、しかも効果は可視化できなきゃいけないという考え方が主流だ。そういう資本主義的な思想が日常生活にも浸透しているのだろう。勉強法でもダイエットでも、すぐに効果が表れるようなものばかりが話題になる風潮がある。「1週間で……」とか「こうすればこうなる!」みたいなインスタントなもの。そういうのをありがたがる人が、詐欺商法とかにだまされてしまうのではないかと私は思う。
で、そういう人たちが選挙に臨むとどうなるか。1票を投票しても、「どうせ何も変わらない」=「今すぐ、効果が得られない」。だから、「投票しても意味がない」となる。
そう考えると、投票率は低いのに、国政選挙のたびに「○○圧勝」というような極端な勝ち負けが付くことの説明も付く。即効性を好む人は、自分が1票を投じた候補が落選すると、「意味がなかった」と思ってしまう。でも、自分が1票を投じた候補が当選すると、自分の1票に意味があったと感じることができる。だからつい、「勝ち馬に乗る」ような形で、優勢な候補に入れたくなるという心理が働く。で、勝敗がはっきりするのである。
自分が1票を投じても、たしかに何も変わらないことが多い。でもそもそも選挙とはそういうものだと思う。選挙のたびに革命が起こるようでは社会はもたない。毎回毎回の選挙で、みんなが気付かないくらいの小さな変化が積み重なって、数十年経ってから見ると、「あら、いつの間にかだいぶ変わったのね」というくらいの時間をかけた変化が、社会の変化のしかたとしては望ましいと私は思う。たった1票で社会が動かせるわけではない。1回の選挙で社会を変えるのではない。選挙は革命ではないのだから。
「たった1票」がたくさん集まって、ひとつの選挙の結果となる。当選した人は、落選した候補者に投票した人たちの民意の存在までをできるだけ考慮して、バランス感覚をもって政治を行っていってほしい。そうすれば、選挙を数十年で何度も繰り返すことで、少しずつ社会が変化する。たった1票では何も変わらないけれど、1回の選挙では何も変わらないけれど、ちりが積もって、それが時間の経過とともに発酵して、漸次的な変化につながる。そういう長い時間軸の中で、自分の1票もとらえるべきではないか。「今すぐの効果」は感じられないけれど、無意味ではないと思えるはずだ。
「あなたの1票が日本を変える」みたいに期待をあおるから、結局「変わんないじゃん」という無力感も大きくなる。「あなたの1票が日本を変える」みたいにあおればあおるほど、今後も投票率は下がると私は思う。
投票率を上げたいのなら、たとえば今回当選した議員さんたちが、自分に投票してくれた人の民意だけでなく、別の方に投票した人々の民意も最大限に考慮して政治を行うことを宣言すればいい。どこまでできるかは別にして、スタンスとしてはそうあるべきだと私は思う。そうすれば、落選した人に票を投じた人も、「無駄ではなかった」と思える。「自分の1票では多分何も変わらないけど、いつ芽吹くか分からない種を蒔くつもりで、投票しておこう」というくらいの気持ちになれないと、投票率は上がらないだろう。
民意を問うために出直し選挙というのが最近の流行のようだが、それで再当選したところで、自分の政策に反対する票を投じた人たちの意見を無視していいことにはならない。政治家とは「こちらをたてればこちらがたたず、とかくこの世は難しい」というようなことを両立させてみせるプロではないのか。聖徳太子が7人の話しを同時に聞いたというのは、単に理解したということではなく、7人の異なる立場の人の主張を同時に聞き入れて全員が納得する方法を提案したということではないか。それが和を以て貴しと成すということではないか。
選挙の論点を極度に単純化して、なんでも対立構造に持ち込む政治家は本当の政治家ではないと私は思う。ましてや低投票率の選挙で「勝った」ことを根拠にして、反対派をなぎ倒して進もうとするなど、民主主義を誤用しているとしか思えない。私たちは誰かに独裁権を与えるために投票するわけじゃない。
「国民は決められる政治を求めている!」なんていう政治家が時々いるけど、だったら最初から民主主義なんてやめて独裁政治にすればいいという話。でもそれは嫌だから民主主義にしているわけ。民主主義を選択しているということは、いろんな意見があってすりあわせるのには時間がかかって大変だけど、みんなでああでもないこうでもないとやり合うことが大事だよねという前提があってのこと。それなのに投票する権利を放棄するということは、無意識的に独裁政治を支持することといっても過言ではない。黙っていると本当にそうなっちゃうかも。
ついでにもうひとつだけ。
なぜ選挙をするのか。未来を「より良い社会」にするために、みんなの意見を集めることだろう。未来における「より良い社会」とは、今の自分にとっての利益が増えることではない。次世代にとって「より良い社会」という意味だろう。
まったく投票しないよりも、どんな1票でも投票したほうがいい。でももし「今の自分の利益」を最大化することのみを考えて1票を投じるのであれば、その価値は「今」のものでしかない。未来の「より良い社会」につながる価値は生み出さないかもしれない。
同じ1票でも、次世代、次々世代のことまでを考えて投じられた1票と、今の自分の利益だけを考えて投じられた1票では、意味合いが違う。しかし同じ1票として扱われてしまう現実がある。
より長期的な広い視野に立って物事を考え判断できる人を育てなければ、長い時間軸で見たときのその社会における「1票の精度」は下がる。それを繰り返せばやがて社会は衰退する。教育の「結果」はこうやって数十年後に表れる。要するに、目先の利益にとらわれない、本質的な教育をしていかないと、投票率は下がり、かつ、1票の精度も下がり、社会はますます衰退するということ。
「教育は未来への投資」とかよくいうけれど、それを、優秀な技術者を輩出して日本の産業発展に役立てようとか、グローバル人材を育てて国際競争力を高めようというような、表面的な意味だけで捉えないでほしい。「今の教育の質が、未来の社会全体の質を決める」という、もっと根本的な意味がある。