男女共同参画社会の文脈に限らず、社会運動において、価値観の相反する、もしくは表現手法の違う相手に対して過敏に反応することは、結局自分の進む道を余計に険しくする。1960年代から世界で最も強力にウーマンリブ運動を繰り広げていたアメリカの男女平等度がいまだにそれほど高くない(日本に比べればだいぶましだが、それでも日本で思われている以上に実は男性優位社会である)ということは、何を示唆するのか。過ぎたるは及ばざるが如しということではないか。

うまくいっている夫婦というのは、お互いに言いたいことをいいながら、相互理解にこそエネルギーを傾ける。しかしうまくいっていない夫婦というのは、お互いに自分の主張を通すために相手を打ちのめすことにエネルギーを傾ける。

家庭内だけではなく、社会においても同じではないだろうか。目的はダイバーシティであり、相互理解であるはずなのに、自分の主義主張に自分自身が絡め取られ、相手を打ち負かすことに意識が向かってしまうと、せっかくのお互いのエネルギーが打ち消しあってしまい、正しい方向に進む推進力としては機能しなくなってしまう。

一連の「家事ハラ」騒動について、たしかにツッコミどころは満載のリリースではあったけれど、最初から100%政治的に正しく(Politically Correct)新しい概念が登場することなんてあり得ない。出る杭を打つ精神ではなく、それをきっかけにして、相互理解を深めようという気概、寛容さこそが社会を動かすはず。

それこそ言葉の表層だけを捉えて批判するのではなく、「家事ハラ」という言葉の登場でなぜみんなこんなに反応したのかという、本質を見ていくようにしなければいけないと思う。いろいろな論点があるのだと思う。今回はすでに言葉の一人歩きが始まってしまった。ある種の炎上マーケティングとしては大成功だったと思う。

調査結果は、なんだかんだいって85%前後の家事ハラ夫婦が夫婦仲が良好であることを示している。考えてみれば当然だ。夫がまったく家事などする気もないなら家事ハラ起こり得ない。夫婦がまったく口をきかないほど冷め切った関係であれば家事ハラ発言も発しない。仲がいいからこそ言い合える。明るく家事ハラできることは少なくとも夫婦仲はいい証拠ともいえる。本当の思いやりとは、相手に遠慮して本音を言わないことではなく、相手を信頼して本音をぶつけることだから。

 

7/31のクローズアップ現代、「男はつらいよ2014」の冒頭で、ひと言だけコメントさせてもらった。「男性は孤立しやすい」というひと言だけ。

実は番組の中で「家事ハラ」についても取り上げるということで、この騒動をどう捉えればいいのか、かなりコメントをしたのだが、「番組編成上、結局家事ハラは取り上げないことになったので、ごめんなさい」と担当者から事前に連絡があった。正解だったと思う。「男性の悲壮」を取り上げた番組で、家事ハラを取り上げたら、それに対する反論のほうが大きくなりそうな風潮だから。

番組とは別にして、せっかくなので、NHKの取材の際に話したコメントの主旨をまとめて下記に記しておく。

 

※オリジナルの「家事ハラスメント」という言葉は、竹信三恵子さんであり、まったく逆の意味であるということを抑えたうえで、、、旭化成の「家事ハラ」について。

 

<実例エピソード>

・「どこまでやればいいんだ?」「いちいち口を出されると正直やるきをなくす」という相談は多い。夫が考える家事の必要十分レベルと、妻が考える家事の必要十分レベルの差から生じる問題。認識のズレの問題。夫婦といえども赤の他人なのだから、当然起こり得る当たり前の現象だと捉えるべき。当然、男女の立場が逆の場合もある。そこで余計なストレスを感じるのはバカバカしい。

 

<ハラスメントという表現について>

・加害者・被害者という立場を暗に固定する言葉が出てきたときに怖いのは、個別の「人」ではなく、集合体としての「男性というものは」「女性というものは」という2項対立構造ができやすいこと。それはさけなければならない。

被害者面をしてオレは悪くないというのではダメ。加害者とされてしまったほうにも言い分はあるから、対立構造が深まってしまう。対立構造を深めてしまってはお互いにいいことない。

・「これがハラスメントというほどのことなのか」というのは昔どこかで聞いたセリフのようにも聞こえてしまう。そういうことを言い出すと対立構造を強めてしまうので、要注意。

・男性としてなんとなく感じている違和感。あからさまに相手を非難するのではなく、ユーモアを込めている点が救い。茶化しているという批判もあるが、ユーモアには対立構造を弱め、相互理解をもたらす作用があるので、今回のことをきっかけに、夫婦の相互理解が深まればいい。

・そもそもこれは男性の溜飲を一度下げておいて、一緒に家事をするというスタイルを提案する場面に引きずり出すためのマーケティング上の伏線。女性の側にも気をつけてほしいことがあるということを指摘しつつ、あくまでも男性側のかっこ悪さを表現することで、対立構造をつくらない配慮であったと思うのだけど、一部では反感を買ったということ。

・家事を極めてしまった夫から妻への逆ダメ出しもある。それはそれで批判の対象になる。

 

<社会としての受け止め方>

・過渡期だからこその摩擦、振れ幅。

・旭化成の目的としては共働き家族向けの家を売ることであり、それを阻害するようなメッセージを発するわけがない。目的としては共働き夫婦が幸せになってほしいということであったことは疑いの余地がない。

・目の前の違和感にとらわれて、言葉狩りとか揚げ足取りみたいなことをやっていちいちいきり立っていたら、男性も女性も気持ちよく暮らせる生活スタイルの確立という大きな目的が達成できなくなる。とにかく対立構造を作らない、犯人捜しにばかり気を取られないことが大事。この議論の先に何を成し遂げたいと思っているのか、目的の共有が大事。その意味では今回調査を行った企業の目的は明確。手段や表現方法はいろいろあって、人によっては「そうじゃない!」と感じることもあるだろうけど、そういう違いも認めることが本当のダイバーシティ社会。

・いろいろな立場の人がいる。それぞれに主張がある。みんなが気持ちいいコミュニケーションなんてあり得ない。新しい試みに対し、社会正義を盾にして相手を叩くようなコミュニケーションをしてはいけない

こういう話題をきっかけにして対立構造が強まると、そもそも夫婦の家事分担などの話題に触れること自体がタブー視される世の中になってしまう。もっと自由に発言ができる世の中にしていかなければいけない。多様な意見があることは素晴らしい。その意味で、今回新しい概念が登場し、話題になり、それに対する批判もあるというのは健全なコミュニケーション。それぞれの立場の人のそれぞれの意見をお互いに尊重し合う、もしくはいいとこどりするスタンスでいければいい。

 

<調査そのものに対する批判>

「手伝う」はたしかにNGワード。主体性が感じられないと昔から指摘されている。昔からこういう問題に取り組んでいた人からしてみれば極めて紋切り型の批判に見えるのだけど、まあ、それでもくり返されるので、毎回指摘しなければいけないのだろう。本音を言えば、もういい加減にしてほしいのだけど。

・今回調査「手伝う」という言葉がNGワードであることは当然知っていたはず。それをあえて使ったのは、「家事ハラ」という言葉で男性を一方的な被害者にしないためにあえて設けたツッコミどころだったと思うのだが。一種の炎上マーケティング。今回の批判的騒動もマーケティング的には計算尽くだったと思う。

・ツッコミどころを探ればいくらでもある。たとえば「共働き夫婦」を調査対象にしながら、「妻がフルタイム」という条件だけが添えられており、夫がフルタイムなのか、パートタイムなのかはわからない。「夫は働いている」という大前提とも受け取れる。でもそういうところを突いて悦に入ってもしょうがない。

25年間の夫婦の家事分担についての「本調査」は読み応えあり。86ページにもおよぶ貴重な資料。気に食わない表現があるからと調査を全否定するだけではなく、おいしいとこどりする懐の深さが必要。

 

<男女共同参画社会の文脈において>

・「女性の社会進出」に伴い、キャリアウーマンに対して、男性的な仕事の仕方を押し付け、それが些末なところでできていないことをあげつらい、「だから女はダメ」みたいなことをいう時代があった。それとまったく逆の構造が、「男性の家庭回帰」の過程で起きている、鏡の関係ととらえると面白いんじゃないか

男女共同参画社会というのは男女で同じやり方をしましょうということではなくお互いの違いを認め、尊重し合うこと。「これまでこういうやり方でやってきた。そんなやり方じゃダメだ」では、本当の意味での男女共同参画社会はつくれない。

・自分のやり方、自分の常識を無意識的に押し付けてしまうというのは問題。自他の区別がついていないということ。そのままでは子どもにも自分の価値観を押し付ける親になってしまう。パートナーとして、一方的な要求にはNOということもときには必要。

そもそも、仕事しているしていないにかかわらず、自分が生きていくためにしなければならないことは自分でやるのが基本。それでいえば、専業主婦なら「手伝う」でもいいというのはおかしい。共働きか否かは、フォーメーションの違いであって、稼ぎはチームとしての成果。共働きであっても稼ぎの多さで家事分担量を決めるというのは一概にはできないし、妻が専業主婦であっても夫が家事をしなくていい免罪符にはならない

・一方、「主体的にやってほしいけど、自分の言うことに従ってほしい」というのはダブルバインドのコミュニケーション。主体的にやってほしいなら任せることも必要。会社でもスポーツのチームでも同じ。いちいち自分のやり方を押し付けていたら、相手が主体的になってくれるわけがない。子育ても同じ。

・社会的に今までが不平等であった、家庭的にも自分の自覚が不十分だったという意識のもと、それを少しでも解消しようと思って主体的に動いてみたらダメ出しをされる、しかも嫌みな方法でというのでは、やり場のない悲しみが湧くのは自然。それをどう乗り切るかというのは次の問題

・男性は家のことで妻と対立してしまうと、相談相手がおらず孤立してしまう。愚痴を言い合えるパパ友も必要なのだが、そこにも難しさがある。

 

<夫婦としての受け止め方>

・「一人前に家事をしてくれることを期待するのは当然だけど、うまくできないからといってたしかに傷つけるようなことを言っちゃいけないよね」と考えてほしい。

・「こんなことをいわれるからやる気をなくすんだよ」と妻のせいにしておしまいというのは大人げない。「期待が高まっている証拠」と思ってがんばってほしい。

・まじめな男性ほど批判を真に受けてしまう。

・個別の男性に対する批判はないと思う。調査そのものや、世の中の雰囲気に対する批判だと思う。男性は自分が批判されているんだとは思わず、今まで通りがんばって。

・仕事の状況、生活の状況は時とともに日々変化するもの。お互いに100%納得できる恒久的な家事分担の方法なんてあり得ない。ひと言で言えば「ありがとう」「ごめんなさい」をさわやかにいえる夫婦になろうということ。

・調査結果は、なんだかんだいって85%前後の家事ハラ夫婦が夫婦仲が良好であることを示している。仲がいいからこそ言い合える。明るく家事ハラできることは夫婦仲がいい証拠。「何度いったらわかるのよ!」「あ、出た!家事ハラ、逃げろ!」なんてわいわいやれればいいのでは。

・なんだかんだうまくやってる夫婦は今回のネタに接しても、「あるある!」「やっちゃうよね!」と笑ってる。それでいいのではないか。