我が郷土(福岡県北九州市)の史跡(史跡と表現してよいのかも疑問ですが)の紹介です。

車で近くを走ってるとカーナビに史跡の情報(名前のみ)が出てまして、何か気になり、車で近くまで行くのですが、一方通行、踏切、住宅地であり、この付近になると高低差、やたら道は細い、やらで出直しして、本日、自転車で史跡の見学に行って来ました。


カーナビには、「帝踏石」、まあ、読めないので、また、そこが気になるところですね。


帝踏石(たいとうせき)と読む?


ネットで調べたら以下のとおり


門司行橋線から朽網西の住宅地へ入り、庚申谷(こうしんだに)踏切を越えるといきなり大きな岩の塊が見えてくる。一枚岩ではなく四、五個の大きな塊が連なっている。


中央の岩の上に石碑が建てられ、表には「帝踏石」裏には昭和8年に碑が建立された事や景行(けいこう)天皇(日本武尊やまとたけるのみことの父)が土蜘蛛討伐の時に石占いをしたことが日本書紀に書かれてあり、それがこの石の名前の由来であるといった内容の事が刻まれている。
 ちなみに、「土蜘蛛」とはその当時天皇側に刃向かっていた民族の蔑称、本当の蜘蛛ではありません。


 なお、「危ないので、石の上に登らないように」との注意看板あり。


写真は、沢山撮りましたが、その大きさが表現出来なくてすみませんでした。


とにかく「デカイ」











本石の上に石碑が立ってます。

この石碑の裏に冒頭の説明文が書いてある様ですが、高さが2m以上あり、私は、この石の上には登れませんでした。登にはハシゴが必要です。

落ちたら完成に怪我です。



編集後記

何故こんなところに大きな石がゴロゴロと

この付近は、現在、内陸地ですが、大昔は、海岸線に現れる大きな巨石なのかも?

(としじ)