富士宮で、「あさま」を行く。 | 風来坊家「とし」の写真集ー「一日一写」

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関東人にとって、「あさま」(浅間)と言われると、長野県の東部にある「浅間山」を思い出す。




であるが、、、、

「浅間大社 本宮」は、、、、、


静岡県富士宮市にある。










富士宮の「宮」とは、この「富士浅間大社」を指している。

長野県にも「浅間山」や、また、北陸新幹線「あさま」号と言う列車が在る関係で、関東人だと、どうしても、「あさま」と言われると、「長野県」を思い出す方が多いかと思うのですが、、、、、


「浅間」「あさま」とは、起源は、何よりも、この富士山「富士浅間大社」が由来であり、

「長野県」の「あさま」は、あくまでも、その派遣に近い。



富士山麓の浅間神社は、富士山の噴火を鎮めるために富士山を神(浅間神または浅間大神)として祀ったものであり、富士山本宮浅間大社(以降、文章中の表記は「浅間大社」とする。)は最も早く成立したものとされる。

浅間大社は、全国に多数ある浅間神社の総本宮とされる。「富士本宮浅間社記」には、大同元年(806)に山宮浅間神社の地から現在地に移転されたとある。
浅間大社は富士山溶岩流の末端に位置しており、境内には、溶岩の間から湧出した地下水が池となった湧玉池(国特別天然記念物)がある。

浅間大社は、噴火を水によって鎮める考え方から、湧玉池のほとりに置かれたと考えられている。
(富士本宮浅間大社 http://www.city.fujinomiya.lg.jp/sp/fujisan/llti2b0000001lsq.html


他で調べて所によると、「あさま」と言う言葉が、「縄文人」(=現在の「アイヌ人」や「琉球人」)が、「火山」と言う意味の言葉であったそうだ。

要は、弥生人と言う「大陸」からの「渡来人」たちの伝えた現在の「日本語」では無く、その前の「縄文人」たちが使っていた言語の中での「火山」が、「あさま」と言う「発音」で、表現されていたそうだ。

それも、縄文人たちが暮らしていた時代は、まだ、地球活動期の中であったために、「富士山噴火」も「長野県 浅間山噴火」なども、「常に」起きていた時代だったそうだ。

その「縄文人たち」が、「火山」と言う「怒りの神」を鎮めるために、「浅間大社」が設けられ、

そして、日本一の「火山」の存在を鎮めるために「富士宮」に作られたそうだ。


今は、休火山ながらも、、、、
先日、書きましたように「2025年7月」の予知を考えれば、、、、、

ふと思うに、現況の日本の情勢や、日本の民衆の「衆愚化」(金持ち思想や、倫理観の欠如)に、一石を投じたいと言う「富士山の意思」が、2025年7月に起きてしまうのではないかと言う印象を感じてしまいました。

ネット時代の「今」、何と言いますか、、、、

「金持ち」、「成功者」が、「正義」となってしまっており、、、、
それまでの「皆で頑張って 共に生きる」と言う「農業思考」が、「否定されている社会」に「日本」が成ってしまっている。。。。

「自由」と言う「競争絶対主義」によって、「共生する」と言う価値観が、完全に、「世界から否定されてしまった」

それは、「共産主義」と言う「国家」が管理する「共生主義」の失敗によって、
全ての「共生主義」が「ダメだ」、あるいは、「自由を奪う」と言う価値観が創設されてしまった。

「自由主義」と言う名の「金持ち強権主義」が、世界を「金持ち」以外は、「ダメな人」と言う価値観を生んでしまったような気がしてならない。


2025年7月に、「富士山噴火」や「津波」、「大地震」によって、
「個人自由主義」の一番の砦、「東京」で、「個人」だけでは、生きられない

と言う「価値観」が生まれ、そして、共生社会と言う概念に伴った社会が生まれてくることを願って止まない。




「たつき諒」さんの「私が見た未来 完全版」では、2025年の富士山噴火や、大地震、大津波によって、「社会」が、「変わる」と書いてあります。

それは、「良い方に変わる」と書かれておりましたし、
また、2025年以降は、全ての人々が良い形で生きられる社会になると、書かれていました。

どう変わるかは、2024年7月の時点では、分かりません。

でも、私の感じとしては、これまでの「個人競争社会」が、「共生社会」に変わって行くことになる未来を感じ取り始めています。

「競争社会」と言うのは、「社会が発展している」段階までは良かったが、、、
現況の「経済」「技術」「科学」と言う「発展」する要素において、「行き詰まり」を、感じ取っている感じがします。

そうなると、将来への「不安」「不満」によって、「戦争」や「経済競争」が、「跋扈する」時代に成っている現実を感じてしまっています。

その「戦争」「競争」が、「発展」を生めば良いモノの、、、、

「技術」の上限端に達している現実を直視すると、「人工知能」「AI」が、
「人間以上」の「能力」を得てしまい、、、、

その下で、人間たち以上の「神に近い人工知能」の存在によって、
「戦争」も「経済」も、統治され、「人間自身」は、感じないモノの、、、
「AI」「人工知能」によって、「戦い」も「貧乏」も無い時代に成って行くような気配を、私は、感じ始めております。



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