田んぼの中の静かな旧街道を抜け、大田原宿到着。(本日、いいね返信) | 風来坊家「とし」の写真集ー「一日一写」

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田んぼの中の静かな「旧・奥州街道」を抜け、「大田原宿」に到着。













国道沿いでも無い
静かな「宿場町」

今回、奥州街道を調べるまで、大田原宿と言う地が、黒磯駅前辺りであろうと思い込んでいたのだが、「西那須野駅」から、歩いて30分ほどの場所でした。

でも、ご覧の通り、街道筋とは言え、「旧街道」なのと、「国道4号線」からもかなり離れた、東北線よりも「東側」の地で、シャッター街と言っても過言では無い気がした。

旧奥州街道は、どうも、観光化は、どこもされておらず、、、
旧跡的なものも、散見しにくい所が、大問題だと感じました。

こんな かっこいい与一の出身地だと言うのに、、、

実の所、今回の「旧奥州街道」の宿場町を調べている段階で、「大田原宿」「鍋掛宿」の場所が、「鉄道好き」の私には、どうにもこうにも、「場所」が思い浮かべることが出来ませんでした。

東北本線は、「福島県白河市」と「栃木県那須町」の間の「峠」を回避するために、「黒川」沿いを走ってしまっており、かつての「奥州街道」からは離れた状況になっておりました。

ちなみに、この辺りが、、、






源平合戦で、平家の船の扇を、矢で打ち破った「那須与一」の里だそうで、大田原宿周辺の「那須岳」のふもとで11人兄弟の末っ子で育ったそうだが、源平合戦の功労で、この一帯を源氏より賜ったそうだ。

だから、基本的に、「那須与一」の「那須」は、「地名」が先の「姓」であったようだ。
それも、11人兄弟の末っ子ともなると、、、(*'▽')

何かで、名をはせたいと言う思いが、弓の名手になったのであろう。。。




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