挑戦と挫折のさきに・・・ | 人生後半の時を紡いで・・・

人生後半の時を紡いで・・・

悔いなく楽しんで~

私の娘は頑張り屋で

私に似てやや無鉄砲なところがあります

 

今から20数年前

高校へ進学しやっとホッとしたのもつかの間

5月のある日 帰って来るなり

 

アメリカへ留学したい~

 

なに!

 

あなた英語しゃべれないでしょ?

 

中学校3年間の英語力で通用するの?

 

 

進学した高校のシステムで

ユタ州にコーディネーターがおり

1年間留学先で履修すれば

そのまま2年生に復学できるという・・・

 

娘の意志は強く

その年の8月

私達夫婦は娘をアメリカへ送り出しました

 

親として不安や心配は勿論ありましたが

子どもの人生は子どものもの

やらなかったという後悔だけはさせたくなかった

 

 

今のようにLINEやSNSがあるわけではなく

エアーメールだけが頼り

いつも首を長くしてまちました

 

忙しい合間にもよく書いてくれた手紙には

気丈にも 泣き言は書かれず

淡々と日常を綴って来るのでした

 

まだ15歳の多感な時期に

異国でのホームステイ

楽しい事や嬉しい事 それと同時に

どれほどの心細い思いや辛い思い

たくさんの経験をしたことでしょう

 

 

 

一年後の6月

一回りも二回りも成長して帰国した

娘の姿が眩しくもありました

 

 

この留学によって娘は

「英語に秀でた」という強い自信を身に付け

この事は彼女の人生の大きな財産となるのです

 

 

 

高校3年になり迎えた大学受験

共通一次の結果が良く担任の先生から

「国立G大に願書さえ出せば受かる」と

 

この一言が最大の悲劇を生んだ

 

これをきっかけに

娘の受験の緊張の糸はプッツンと切れた

 

嘗めてかかった受験は

そんなに甘くは無かった

 

結果は惨敗!

 

滑り止め校は受験当日

玄関先で踵を返し受けに行かなかった

 

 

よもやの展開

浪人なんて夢想だにしていなかった・・・

 

打ちひしがれ涙にくれる娘を見ては

ただただ胸潰れる思いがした

 

リセットボタンがあったなら・・・

 

 

一浪して再びの大学受験

 

全てに合格!

 

ある大学からは

「4年間学費免除の特待生」で・・・

もったいないお申し出も辞退して

 

結局本人が一番希望していた大学へ

 

充実した大学生活 

大学3年の後半 就職活動開始早々

ある大手企業のインターンシップへ応募

そして

そのまま内定を頂くことになり

まだ氷河期と言われたこの時代にあって

就活用に揃えたバッグやスーツの

出番はありませんでした

 

 

そのご結婚・出産で何度か転職するも

いつも「英語」が強力な武器となり

 

いま 世界のトップ企業に勤務しています

 

あの時

アメリカへ飛び出さなければ

ここへ繋がることはなかったでしょう

 

 

これから先

双子の子どもたちの成長や自身のライフワークで

どう舵を取っていくのか分かりませんが

 

人生一度きり

 

やらないで後悔するより

なんだって当たって砕けろ!

 

 

これは

母親譲りでしょうか~

 

 

私はいつだって家族みんなの

応援団長!

 

 

 

 

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