3月11日8時に


僕は仙台駅に居た。


ヤスが迎えに来てくれて


お線香を上げる為に大川小学校へと向かった。


何故大川小学校か?と言うと


今ヤスは大川小学校の瓦礫撤去や長面地区の瓦礫撤去及び水没してしまった道や家の跡地の整地等の仕事をしているからだ。


ヤスが『一年たっても何にも変らない所だってまだまだ有るんです、鮎川も酷かったけど・・・大川は酷過ぎて声も出無いっすよ・・・とっくりさんお線香上げに行きませんか?』


そう言ってくれたので


何が出来る訳ではないのだが


お線香あげて手を合わせに行って来た。


大川小学校ってご存知でしょうか?


石巻市釜谷地区の北上川河口から約4㌔の川沿いに位置する大川小学校は、3月11日の東日本大震災で全校児童108人の7割に当たる74人が死亡、行方不明となった。


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僕にも子供が三人居る


その子が


もし


此処の児童だったら


そんな事考えただけで悲しみが込み上がる


親御さんや残された方達の悲しみと苦しみを思うと


何も言えなくなってしまう
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この日は


海外からのメディアや日本のテレビ局などが多数来ていた


それから観光の方なのだろうか


線香はおろか


手を合わせる事もせず


携帯で慰霊碑を撮りまくる人達


ビックリしたのは


何処かの覆面プロレスラーが覆面を被ったまま


手を合わせるでもなく


携帯で慰霊碑の写真を撮りまくって居た


せめてマスクは取るのが礼儀と思うのだが


正体を知られたくないのなら初めっからマスクなど被らなければいいだけの話で


もし自分の大事な子供の命日に


見た事も無い覆面被った奴がその子の墓石いきなり携帯でパシャパシャ撮ってたら


どんな気がするのだろうか?


ヤスは


『俺・・・ああいう奴等見ると毎回石ぶつけてやりたくなるんですよ・・・・。』



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ヤスはこの小学校で瓦礫の撤去と整地をして居る時


此処の卒業生と父兄がヤスの所に来たらしい


ズッと前にタイムカプセルを埋めたのだが


今と成っては何処に埋めたか分からない


手が空いた時で良いので


もし出来たら大体の記憶しかないのだが


重機で掘り起こして探して貰えないか?


そうお願いされたらしい。


ヤス達は仕事を途中で止め


一生懸命彼等の記念の品をさがした。


しかし


それを見つける事は出来なかったらしい


『見つけられなくてすいません。』


頭を下げるヤス達に


卒業生たちは皆で『忙しいのに探してくれてありがとうございました。』


そう言ったんだって。
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僕はヤスに


『お前良い事したな。』


『いや・・・見つけてやりたかったっすよ・・・。』


ヤスはそんな奴です



そのヤスの今の現場は長面地区


大川から道がキチンとしてれば車で5分ぐらいなんだろうけど


整地してもジャリで埋めてもグッチャグチャの道の為15分ぐらい掛かってしまう長面地区と言う場所に連れて行かれた。


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湖の中に道が有る様な場所だ


今では水没してしまった場所にも


家族が居て


人が住んでいたんです
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津波は全てを持って行ったんだ


命だけじゃ無い


其処に住んでいた人達の痕跡すら無くすほど


全てを持って行ってしまったんだ。
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コレが一年たった


長面です


池の中に家が経ってる様なこの場所に


泣き笑い幸せな家族が居たんです


今でも水が引かず


どうする事も出来ないのだろう


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殆ど手つかずのまま


行方不明の人達はまだ殆ど見つかって居無い
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これで一年ですよ?


復興してるって?


何処の話しなんだ?


誰が言ってるんだ?


勿論全てがこんな酷い状態の訳ではないよ


でも


なんか勝手に遠い昔の話にしないで欲しいんです


こんな所はまだまだ沢山有る


苦しんで悲しくて


涙も枯れた人達がまだまだ沢山居るんです
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知って下さい


記憶に刻んで下さい


そして


差し伸べる手が有るのなら


十本の指の小指の先っぽだけの優しさだって良い!


此処の人達に分け与えて下さい。


まだまだ


本当に宮城の人達は辛い所にいます


忘れないで下さい


なんでヤスが僕を此処に連れて来たのか?


知って欲しかったんです


僕も皆さんに知って欲しい


宮城の人達本当に頑張ってます


僕たちも出来る事は沢山有るよ


僕たちも頑張りましょうよ!


何も終わって無いし


苦しみは簡単には無くならないけど


僕等は繋がってる


人の痛みを感じる事が出来る


それだけ分かれば彼等と分かり会える筈


お願いです


福島、宮城、岩手被災地三県を応援して欲しい


小指の先の優しさだって何もしないより全然良い


先ずは知って下さい


そして伝えて下さい


それだけだって


小さな応援に成るかも知れません


宜しくお願いします。


僕はこの後鮎川にヤスと向かいました


その話は


また今度にします


3月11日


その日に


僕は宮城に戻って来て


今では親友と言える様な仲間達と共に消防署のサイレンの中黙祷出来た事を


光栄に思って居ます。






鮎川復興の会 吉田俊浩