ブログや、フェイスブック、ツイッターなどが、想いを投げ
捨てる空間になっていることこそ、変化の激しい現代文明
の特徴があるのではないかと、私は着眼したのですが、
すぐに、それが錯覚であることに気づきました。
核廃棄物も、国の原子力政策の足かせになっています
が、それと同じように、ブログ、フェイスブック、ツイッター
なども、想いの残滓が溢れかえっています。
これらは一体何なのでしょう?これらの電子情報は、ほ
とんど物理的な空間を必要としないので、膨大な情報量
に圧倒される実感がないのですが、想像しただけで気の
遠くなるようなことが、どこかに蓄積されているのです。
大河の流れを、ぼんやりと眺めているつもりだったもの
が、実は、その先で大きな大海の中を正確に把握されて
いるのです。そのように考えると、何だか末恐ろしい思い
になってしまいます。
これらの情報を、言論統制や思想弾圧に利用されるの
ではないかと、将来に懸念を持つ人は少なくないようです。
確かに、今の技術で、国が本気になって個人を弾圧しよう
と思えば、できてしまうことを憂慮します。
特に、現政権のような統制色の強い政治が、多くの支持
者を持つ時代には、政府を批判する意見(この文章のよう
に)を書くことが憚られてしまうのです。
ブログ、フェイスブック、ツイッターなどでは、自分が書い
た意見が、すぐに見えなくなるので、自分でも忘れてしまい
がちですが、それが錯覚であることを、私は今、思い起して
います。それが、致命的な落とし穴にならないことを、ただ
ただ祈るばかりです。
捨てる空間になっていることこそ、変化の激しい現代文明
の特徴があるのではないかと、私は着眼したのですが、
すぐに、それが錯覚であることに気づきました。
核廃棄物も、国の原子力政策の足かせになっています
が、それと同じように、ブログ、フェイスブック、ツイッター
なども、想いの残滓が溢れかえっています。
これらは一体何なのでしょう?これらの電子情報は、ほ
とんど物理的な空間を必要としないので、膨大な情報量
に圧倒される実感がないのですが、想像しただけで気の
遠くなるようなことが、どこかに蓄積されているのです。
大河の流れを、ぼんやりと眺めているつもりだったもの
が、実は、その先で大きな大海の中を正確に把握されて
いるのです。そのように考えると、何だか末恐ろしい思い
になってしまいます。
これらの情報を、言論統制や思想弾圧に利用されるの
ではないかと、将来に懸念を持つ人は少なくないようです。
確かに、今の技術で、国が本気になって個人を弾圧しよう
と思えば、できてしまうことを憂慮します。
特に、現政権のような統制色の強い政治が、多くの支持
者を持つ時代には、政府を批判する意見(この文章のよう
に)を書くことが憚られてしまうのです。
ブログ、フェイスブック、ツイッターなどでは、自分が書い
た意見が、すぐに見えなくなるので、自分でも忘れてしまい
がちですが、それが錯覚であることを、私は今、思い起して
います。それが、致命的な落とし穴にならないことを、ただ
ただ祈るばかりです。