根っから戦いを好まない人たちがいることに、私のよう
な好戦的な者も救われます。闘争心の強い私が、本性を
隠したまま生きていけるのは、そのような人たちを見習わ
なければと思うからです。
 実際、これまで私は、ゲームの面白さがわからないとい
う人を何人か知っていますが、その人たちは、争うことが、
本当に面白くないようなのです。
 スポーツの好きな人も、心の中に闘争心を秘めていると
思うのですが、フィギュアスケートのように、単なる美しさを
愉しむ人もいるので、あまり決めつけた先入観を持たない
方がいいようです。

 「妙な妄想」に話を戻しますが、闘争心の強い人の中には、
道を譲ることが発想にない人もいます。そういった人同士が
行き交う時こそ大変で、一触即発の場面も、考えられないで
はありません。
 そうなると、お互いの意地が強く大きくなってきます。どうし
ても道を譲りたくないという想いが、態度を硬化させてしまう
のです。お互いに、ちょっと譲れば済むことが、ただ事では
なくなってしまいます。

 闘争心が暴力的になると、身を護る(防衛)ためと称して、
棒やナイフなどを持つようになるかもしれません。いつもすれ
違う相手だと、意識的な挑発も出てくるでしょう。
 そして遂には、仲間に声を掛け、一緒に闊歩するようになる
かもしれません。まるで、集団的自衛権の行使だと言わんば
かりに。