あまりモーツアルトに詳しくない私には、その晩年に

ついて語る資格はありません。それでも、あの底抜け

に明るいモーツアルトの清澄な香りが、晩年の作品で

変貌しようとしたことは、確かなことだと思います。

 最期の年に作曲された二つの歌劇(「皇帝ティートの

慈悲」「魔笛」)や室内楽なども、充分聴きこんでいない

段階ですが、このモーツアルトの変貌の予感だけは、

私にも自信を持って言えることです。

 この「ジュピター」以降の、クラリネット五重奏曲K581、

ピアノ協奏曲第27番K595、そして未完となるレクイエム

K626。これだけで充分です。

 それが、死の恐怖から生まれたものであるかどうかは、

異論もあり、私自身も結論を持っていません。確かに、

そのような影響も少しはあるかもしれませんが、それが

彼の作風の変貌した主要因とは思えないのです。


 お気に入りとなるプラハへの最初の旅行からウィーン

に戻って、しばらくモーツアルトは旅行に出かけることも

なく、作曲も停滞していたようです。露土戦争が与えた

経済的な影響などが、モーツアルトの懐を直撃しました。

 そして、郊外に移転して短期間の内に最後の交響曲

を三曲も創りました。その最後の曲が「ジュピター」です。

亡くなるまでには、まだ3年余の時間が残されていたの

ですが、なぜか、もう交響曲は生み出されませんでした。

 私には、そのことがとても不思議に思えます。この曲が

作曲された1788年以降では、ハイドンが精力的に、最後

の有名な、ザロモン交響曲と言われる12曲の交響曲を

生み出しました(「驚愕」「軍隊」「時計」「ロンドン」など)。


 この交響曲の最終楽章を聴いていると、それが私には、

フィナーレではなく、大歌劇の序曲のように思えてなりま

せん。そこには、次への期待が満ちています。

 そして実際、「ジュピター」以降に、ハイドンだけでなく、

ベートーヴェンを始めとして、本当に交響曲時代の幕開け

を迎えたのです。この曲の感動には、そのような感慨が

含まれています。


[ご参考] ワルター指揮ニューヨークフィルです。

http://www.youtube.com/watch?v=neNifFga4_k&feature=bf_next&list=PLF5C21A4D08EEE089