何処へ行くんだ! 土佐瑞山

何処へ行くんだ! 土佐瑞山

明日死ぬかもしれない。 だから今日を悔いなく生きる!
回遊魚の如く動き回らないと酸欠状態になる。帰巣本能を忘れた肉体派オヤジの全く世の中の役に立たない独り言・・・

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ふと、ブログを覗いて見て… 約1年半振りに更新してみたくなりました。
ずいぶん様子が変っている様です。
老眼が進み、ブログの更新が億劫になりましたが、Facebookはマニアックネタを細々と続けておりました。

ある仕事で、山口県を隅々まで歩いておりますが、まだまだ面白味のある所がたくさんありますね。
小さな日本、なかなか奥深いものです。

山口県山口市徳地 曹洞宗正慶院に参拝いたしました。

奇兵隊本陣跡 軍監・山縣狂介は、徳地を立ち、富海へ出て赤間関の白石邸に船で向ったと言います。
その史実は、地元の人々の記憶から忘れ去られつつあります。

萩・山口・三田尻・赤間関に比べると地味ですが、ここにも回天の歴史の1ページがあります。

幸いにも、葷も酒も帯びておりませんので堂々と参拝いたしましよう。


大内菱が印象的な禅刹でした。 合掌
隠岐島の様子は後日また! と言いながら数ヶ月が流れ去りました。

国語辞典を引きますと、後日とは、のちの日・将来とありましたので、やれやれひと安心…


先日、私のブログの読者の方から『最近更新が無い!』と指摘され、ふと思い出しました。

久々の更新、さて隠岐島の出来事を何から綴りましょうか?

しかし、あれこれ綴りますと、現在のブログ更新頻度ではいったい何年かかることやら…


隠岐島で足止めを食らったのは、先ず神々にご挨拶しなかったからではなかろうか?
と、慌てて参拝したのが、島後にある『玉若酢命神社』でした。

過去に何度か訪れましたが、暴風の中の参拝は初めてで、さすがに人っ子一人居ません。







『玉若酢命神社』は、玉若酢命を主祭神とし、その他、大己貴命・須佐之男命・稲田姫命・
事代主命・須世理姫命を配祀して居りますが、主祭神の玉若酢命は記紀神話に記述の無い神で、
社伝によると、景行天皇によって隠岐国に遣わされた大酢別命の御子と伝えられています。

玉若酢命は、隠岐島の開拓をされた神と考えられており、代々宮司を務める億岐家は玉若酢命の
末裔と言われています。







手水舎付近より随神門(国指定重要文化財・1852建立)と八百杉(国指定天然記念物)を望む。











なかなか勢いのある老杉(御神木)です。

頑強な防護柵が無いのは、本土より遠く離れて観光客なども少ないためでしょうか?
踏圧の影響も本土の巨木ほど深刻では無く、肌つやも惚れ惚れするほど美しい!












樹齢千年以上の八百杉(やおすぎ)は、人魚の肉を食べて800年生きた若狭の『八百比丘尼』
隠岐へ渡って来て植えたものと伝えられています。

伝説はともかくとして、隠岐~若狭は朝鮮半島と日本を結ぶ主要航路として、かなり古くから
交流があった事の裏付けと言えるかも知れません。











暴風に身体は踊り、祝詞はかき消され、かしわ手は空振り…

さぞ神々は滑稽な私の姿を見て、苦笑いされたに違いありません。







祓へ給へ 清め給へ  守り給へ 幸へ給へ







決して作州より後醍醐天皇の足跡を訪ねて来た訳ではありません。




また、水木しげるのルーツを辿った訳でもありません。




残念ながら隠岐汽船の船体に書かれた『隠岐へ行こう!』のキャッチフレーズに


誘われた訳でも無いのです。




少し前の話ですが、偶然にも時期を同じくして後醍醐天皇ゆかりの隠岐へ或る調査で


行って来ました。




3泊4日の予定が、時化で船が欠航・・・




5泊6日となり、軍資金は尽き、危うく力尽きるところでした。











初日はまずまずの天候でしたが、午後より船は欠航との報せ。




上の写真は2日目の海の様子。











3日目の海の様子。











4日目の海の様子。




うーむ・・・ 防波堤を波が越えてる。欠航は致し方あるまいて!











5日目の海の様子。




心なしか穏やかになった様な気がしますが、マヒしてるのかも知れません。




時折やって来るみぞれ混じりの暴風の中、何とか仕事を終えて、


あとは船の出るのを待ち焦がれつつ、する事もないので悪天候の中を島巡り。




6日目には波高も4メートル程度に収まり、本土へ帰還。























特等船室まで海面から10メートルくらいあるものの、船窓を波しぶきが襲います。




幸い私は船にめっぽう強く、バスとアルコール、そして自分にしか酔った事がないので


助かりました。




隠岐島恐るべし!




後鳥羽上皇、後醍醐天皇はさぞ大変だった事でしょう。






あっ、島内散策の様子は後日また!