娘盛りと死(1) | 物語作家 小説家 森田 享

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   娘盛りと死(むすめざかりとし)

 

 

 

 王朝時代なのか、あるいは戦国時代なのか、定かではないが、都からは遠く離れた山間(やまあい)の深い森の中のことである。

男の烏帽子や装束は、汗や埃で汚れている。腰に太刀を、背中には弓矢を帯びているその武士の男は、まだ若く精悍な顔つきで、筋骨逞しい腕に力を込めて弓に矢を番え(つがえ)、鷹のように鋭い眼光で一点を見つめている。

 薄暗い森の中に身を潜めている男の視線の先には、真夏の太陽の光に明るく照らされた山道を行く八人の都の探索役人たちがいた。男は、いつでもその役人の内の一人を矢で射抜く心構えで油断なく、通り過ぎて離れて行く彼らを見送った。男の頬や首筋を、玉のような汗が伝い流れ、腕にも汗が光っている。聞こえるものは、狂ったように鳴く蝉の喧騒だけである。

 男は、探索の役人たちが見えなくなると、番えていた矢を背の箙(えびら)に戻し、弓を持っていない方の手で顔の汗を拭いながら、抜け目ない足取りで森のさらに奥へと入って行った。

 太い木立ちの間の藪の中から出てきた男は、先ほどの緊張感からは少し解き放たれたらしく安心した表情を浮かべながら、木洩れ陽で明るい山道を歩き始める。蝉の声が充満しているその山では、耳を澄ませても意味はないのだが、とにかく男には周囲に人がいる音は聞こえなかったし、道の前後左右に人影は全く無いはずだった。

 しかし、なぜか男は先ほどから、ずっと何者かの視線を感じているようだったから、不気味に思いながら藪の中の獣道を歩いているのだった。

 男の行く山道は、やがて深い森を抜けて、峠に差し掛かった。見晴らしの良いその場所からは、眼下に遠く山里が見える。逃亡を続けている男は少し、ほっとした様子で、その人里を目指して峠の坂道を下り始める。

 男が坂道を、かなり下ったとき、後方で人の走って来る音が聞こえた。男が振り向くと、坂の頂きに都の探索役人の四人が姿を現わし、

「待て! 惟近(これちか)、ついに姿を捉えたぞ!」

と口々に叫びながら坂を転がるように駆け下りてくる。まさに探索役人たちは大慌てになっていて、ある者は走りながら抜刀し、ある者は走りながら弓に矢を番えようとして、我先に獲物に迫ろうと夢中だから、互いにその体がぶつかり合って、躓いたり転んだりしている。

追われている男、惟近も、ついに追手たちに遭遇してしまったことで、一気に大混乱の中へ飛び込まざるを得ない。懸命に坂の下の道を逃げ始めるが、坂を勢い良く下りてくる役人たちは早くも背後に迫って来るようで、ますます緊張して男の焦る足腰は空回りしているようだ。

すぐ後ろから追手の怒号が聞こえ、疾風を切り裂き、しゅっ、しゅっ、と光線のような弓矢が二本、飛んでくる。

走る惟近は峠道を突き進み、崖沿いの曲がり角を勢い良く回ったが、そこには他の探索役人が四人、待ち伏せしていた。

「惟近! 観念しろ」

「これまでだ!」

「うわっー」

驚愕し絶叫しながら急停止した惟近は勢い余って、待ち構えていた役人たちに体当たりし、そのまま七転八倒の揉み合いが始まった。そこに、さらに追い駆けてきた役人の四人も加わって、敵味方が入り乱れる中で、懸命に惟近の体を探り当て、取り押さえようとしている。

「早く捕まえろ!」

「逃げるならば殺してしまえ!」

その団子状態の混戦の間隙をついて惟近は逃げ出すが、峠道の前も後ろも、しっかりと混戦を抜け出した役人が塞いでいる。やむを得ず惟近は、道を逸れて急いで崖を下りようとするが、斜面は急勾配で、岩を伝うようにしなければ落下する危険がある。その高い崖の下には、谷川が流れているのが小さく見える。

惟近は、ヤモリのように必死で腹這いになって崖を下りて行くが、探索の役人たちが下へ向けて放つ矢が、しゅっ、しゅっと顔や肩先まで髪一筋分のところを走り抜けていく。

無我夢中で崖の斜面を這っていた惟近は、その二十年あまりの人生で初めて体感する強烈な衝撃を左の鎖骨に感じ、一瞬にして全身の力を失って空中に投げ出された。惟近は、人形のように崖を転がり落ちながら、谷川に着水する前に意識を失った。

断崖の上から探索役人たちは、しばらくの間、谷底の川面に惟近の体が浮き沈みしながら流されて行くのを見送っていたが、やがて何事かを話し合ってから峠道へ戻っていった。探索役人たちは、惟近を生け捕りにすることはできなかったので、やむなく谷川の下流へ先回りして、惟近の死体だけでも確保しようとしているのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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