物語作家 小説家 森田 享

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「もう、行きます」

俯き、星明かりを失って沈んだ影になっているはずの私の顔を見て、女は、そう言った。

女の視線を痛々しいように感じながら私は、呼吸も忘れてしまったかのように、胸を詰まらせながらも無理矢理、溜息を漏らして、明るい星空を見上げた。

私の顔を微かに照らし、南の空に白く輝いている大きな星を見つめながら私は、まだ何とか彼女の感情に訴え掛けようと試みていた。

「私は作家だから、君との出逢いから、愛し合った日々、そして、この別れのことを、文章に書き記そう。そして、君との記憶を芸術作品にまで昇華させて、物語として、いや、たった一編の詩でもいい、永遠に人類の文化史の片隅にでも残せたら、これに勝る自分の生きる目的は無いと思っている」

「そんなことをしても虚しいだけよ。あなたが死んだ後に、そんな文章の書き記されたものが残っているのか、あるいは跡形もなく消え去ってしまっているのか、それはもう、あなたにとっても、私にとっても関係の無いことなのよ。死ぬって、そういうことでしょう」

「すべては、いま生きている間だけのことで、それ以外は、どうでもいいと?」

「私は、あなたの前から去ってゆく、ただそれだけよ」

「ただそれだけではない。君が、私の前から去って、あの男のもとへ行くのは、私の記憶の中では、君が生命を失うと言うことと同じだ」

「あなたの記憶の中に私は、もういないの。そう思うようにして下さい。私を忘れて」

「今日までのことをすべて、きれいさっぱり忘れ去ることなんて、できるものか。この私の夢の中でさえ、君を忘れるしかないなんて……」

 女は何も応えなかった。

 

いつかその女との、このような別れがくることは、私にも分かっていた。もう二度と再び逢えなくなること、それはそれで良い、と思っていた。これっきりで、お仕舞い。それで良かったのだ。別れとは、生きてゆくこととは、そう言うものなのだから仕方がない。

でも、私は、女との出逢いと別れを、ただ忘れ去るべきことではなく、もっと大切にしたかった。女と過ごしたすべての時間を、その出逢いから、激しく求め愛し合った刹那、何気なく続いて行った二人の日常、そして思いもしなかった突然の別れ、その最後の瞬間までの一瞬一瞬のすべてを何とかして心に、いつまでも留めて置きたかった。

いつの頃からか、たぶん、それは私が、もう若くは無い、と自覚した時からだったと思う。

私は、その女と逢うこと、その一度一度きりを、いつも初めて新たな女と出逢うような、常に人生においての一期一会と思うようになっていた。その女との一期一会の一つ一つを、できるだけ多く心の中に、永遠の光として灯して置きたかった。

しかし、心とは、なんと不確かなものなのだろう。心の内にある火は、心の外にある火と同様に、すぐに消えてしまいそうなのだ。

そして、心が真っ暗で、空っぽになってしまうと、私は哀しいことと、虚しいことばかり考えるようになってしまう。生き続ける意味を見失ってしまう。

だから、私は、その女との一日一日、女との一瞬一瞬、それを一期一会のように大切に、しっかりと自分の心に留めて置きたかった。死の瞬間まで、いつでも頭の中に再現できるような鮮明な思い出として置くために、自分の脳に記憶させて置きたかった。

どうしたら、もっとも強く、鮮烈な記憶として残して置くことができるだろう。

もちろん、その女と死ぬまで一緒にいることが、その一番の方法であることは分かっているが、それは不可能であることが問題なのだ。私と女は、これから別々の道を歩んでゆくのだから、それはできないのだ。

それでは、ただこのまま女と別れたら、どうなるか。

私は、女への未練、女を取り戻したい衝動と、取り戻すことは不可能であることに絶望し、悲痛な叫びを上げ続けるだろう。自分には女との未来はないが、女と次の男には未来があることに、私は堪え難い思いをして、遂には女との記憶をすべて忘れ去ろうと努力するしかない、と思い至る。そうなることは明らかである。女を諦めて、なおかつ、女との記憶を、いつまでも、自分の死の瞬間まで大切な思い出として残して置くためには、どうしたらいいのだろうか。私は、そのことばかり考えていた。

 

もし、その女が死んだら、もし、その女の存在が、この世から消え去ったならば、私は、その女を忘れることなく、いつまでも大切な記憶として置けるだろうか。いや、そうではない、と思った。

私は、その女が、ただ夜の丘の天空に白く輝く大きな星のように、永遠に私の記憶の中に輝き続けて欲しいと思った。女を映した星が、落ちて消えて欲しいなどとは思わない。

その女の死も、私自身の死も、私の心が空虚になってしまうこととは関係がない、と思った。結局は、私の全ての望みは、女の存在そのものではなく、ただいつまでも再現可能な記憶だけの問題なのだ。

 しかし、記憶とは何なのだろう。

その女との過去は、今は存在しない。記憶の中にだけ、存在していたかのように思われるだけだ。今たしかに在るのは、私が女を口論の果てに失うくらいなら、女が星のように遠く手の届かないものとして、いつまでも、ただ美しく輝いていて欲しいと思っている、この瞬間だけなのだ。今この瞬間の記憶しか存在し得ないのであれば、今は存在しない過去の記憶は、もはや初めから存在していなかったのと同じことだ。過去の記憶なんてものは、この夢の中の出来事と区別がつかない、たわいのないものに過ぎない。

 

 だから、私は不意に、もはや過去の記憶の中だけの存在となった女の、その瞳の奥の空虚を確かめると、両腕で女を抱え上げた。不思議と女は、球技の球のように軽かった。私は、重力を全く感じることなく、星空へ目掛けて、女を力の限り投げた。

 宇宙空間に投げ出されたかのように女は、ゆっくりと回転しながら直線的に夜空を突き抜け、やがて白い彗星となって急激に加速していった。星空を遠く流れて、南の空の白い大きな星と衝突し、一度、強く激しい閃光を放ったかと思うと、やがて何事も無かったかのように星空は、永遠の静寂を取り戻した。

私は、女を、南の空の、白い大きな星の中に、永遠に閉じ込めた。

 

そんなことで、女との出会い、過ごしたすべての時間と別れを、いつでも再現可能な大切な記憶として残して置くことができるだろうか。

それは、無理なことだと思った。

ただ私は、そんなことでもしなければ、その女を諦めることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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