先日ブログでこの年末に平穏無事に願うと書いた翌々日に家内が歩道で転倒して目の上を打って目下入院というアクシデントがありました。検査の結果今のところ脳のダメージはなくほっとしています。老いるとつまずきは起こり易いですので注意しなければなりません。

3日ほどかなり疲れましたが今日はすっかり平常に戻りました。

私の情報は専らテレビとインターネットか外国の友人からの情報が世界把握の源で特別なものは何もありませんがその誰でも目や耳にする疎であり素の情報を頼りに世界や文明をみています。先日もアメリカの監獄に収監されている膨大な人間が生み出す労働力や監獄を維持する看守などの雇用がアメリカ社会の中で一大事業を形成しているので犯罪が減らない理由と貧困者が一度軽犯罪でも一旦入ると5万ドルという保釈金を払えないと一生監獄に繋がれている結果になるシステムが出来上がっているというインドと同じように最下層が犠牲になってアメリカという強大国をつくっていることが分かります。インドはもっと最下層層がはっきりしていますがアメリカは一般的にはこの構造が外部には分かり難いです。人類はイジプトの昔から権力者と上層が下層層の犠牲のもとに維持されてきたという原理は今日も全く変わっていないことがわかります。また昨日のテレビでインドではメンスのとき清潔なパッドを使っているのは20パーセントしかいないそうです。その他は布を使っていますがその一部はあまり清潔でないものを使っているために細菌に感染したりする女性もかなりあるとのことです。最近ある映画がきっかけで全インドの女性にパッドを無料で支給する運動が展開されているということです。この現実をみてなんて悲しいことだと思いました。世界はこれだけ不平等であるということ。そして世界の人口が増え過ぎたこと、特に開発途上国が増えていること。医学が進めば新生児の死亡も少なくなり人口が増えて当然です。2回ほどご紹介したメキシコに60年住む大学の一級先輩の方がいます。算命学というものをメキシコを中心に教えていますが最近急に方々から講演の声がかかって生活費以上の金を払ってくれるそうです。また受講者は圧倒的に女性なそうです。私が算命学の概論をその内入門書を買って読んでみたいと話したら今日メールが入っていて彼流に算命学とはと具体的な事象で説明しました。それによると一言で「自然に帰れ」ということです。時間の篩にかれられた智慧、万物に当てはまる真理に従って生きることに尽きるといっているようです。旅人のマントを北風と太陽がどちらがぬがせるかの話がありますが太陽的生き方を説いているのが算命学です。難しい専門語も使わずに私に教えてくれました。捉われない心で自然に生きることに尽きます。そして自ずから知り行動して滞りなく解決していくという融通自在を目標に生きるということです。私にはこのことがようくわかります。ただ私にはまだできないというだけです。でも一生心掛けてはきました。しかしアートというある意味で限定されたメチエに拘泥されて本当の自由は得られなかったということです。ブッダもキリストも職業は持たず旅をしながら人々を済度したということです。外科医のようにメス、内科医のように薬ももたずに人々の悩み、苦しみに耳を傾けそれにアドバイスを与え結果その悩み、苦しみを無くしたということです。精神、魂の医者ともいえます。現代文明は人間の形而下的物質的なものを豊かにしてきましたがその裏腹に形而上、精神的の癒しは逆に等閑にされ物は豊かになって精神の荒廃は増大しています。

私は最近疲れることが多く生命力を失くしていましたがメキシコの先輩との交流で何か一時失くしたエネルギーが戻りつつあります。

人間は限界を超す悲劇悲惨に絶対に遭ってはいけません。太平洋戦争で最前線で精神に異常を来し戦後もそんな施設で一生を終えた兵士も沢山います。昔評論家の大宅惣一はテレビを称して「一億総ハクチ」といいましたが私はそうは思いません。素晴らしいドキュメントが沢山あります。そしてそれらは人間が見なければならない事実です。生きる喜びの一つに他との共感があります。何とか老いを受け入れ乗り超えて喜びを持続したいものです。