恵みをもって召してくださった方が・・・・

          よしとされたとき。

                ガラテヤ1:15・16

 

           <神に機会を与える>

 私たちは神の働き人として、神に機会を与えることを学ぶ必要がある。

私たちは身を引き、神に十二分に働かれる余地を与えるのである。

 私たちは細かく計算し、見積もって、これこれのことが起こるだろうという。

そして、神の介入される余地を作ることを忘れてしまう。

 神が私たちの集会に、想像もしていなかったような方法で介入される時、

私たちは驚くのではないだろうか。神はつねに特別な方法で介入されると

考えてはならない。まず、神を尋ね求めよ。これが、神に機会を与える方法

である。

 神が臨まれることを当然のこととして期待せよ。しかし、ある一定の方法で

臨まれると思うな。神について学べば学ぶほど、神はいつでも介入される

ことがわかる。神はこれ以外の方法では働かれない。神はよしとされた時、

突然、あなたの生涯に臨む。しかし、私たちはこの事実を見逃しやすい。

 だから、神と絶えず交わり、あなたの信仰生活を保て。そして神がいつ

介入されてもよいように、神のために十二分に働かれる余地を作れ。そして、

待機せよ。

 

 

 

      「いと高き方のもとに」 オズワルド・チェンバーズ著

              366日の黙想 1月25日