ヨガのアーサナの
練習を始めた時
本に載ってる
アーサナの写真を見て
やり方を読んで
骨盤正面とか
腿は床と平行とか
顔は天井向くとか
膝は伸ばすとか
出来る限りやろうとしていた
数年後
とあるクラスで
肘倒立を教えてもらった時
嬉しくて自主練をしたら
肩を痛めて一年くらいずっと痛かった
(後でまだそれをやる身体ではなかったと知るのですが)
身体の声を聞かず
形を求めて
出来る人になりたいだけで
アーサナをとり
身体を痛めた
その反動で
わたしの方針は
「わたしはやり過ぎてしまう
から
無理せずやろう!!」
無理せず
わたしはまだ身体が整っていないから
マイペースで
と
確かに
頑張り過ぎてしまうわたしには
必要なことでしたが
そのうち
こんなもんか
と
型を狙っていくことを
放棄するようになっていました
「これ以上はやめておこう」
という声が
身体ではなく
頭から来ていた
そんななか先生に
「もっと動けるでしょ」
と言われ
びっくりした
「えっ
わたしの身体
もっと動いて良いの!?」
どれだけ
何に
遠慮していたんだか笑
そっか
もっと動いて良いのかぁ
と
練習を始めた時
本に載ってる
アーサナの写真を見て
やり方を読んで
骨盤正面とか
腿は床と平行とか
顔は天井向くとか
膝は伸ばすとか
出来る限りやろうとしていた
数年後
とあるクラスで
肘倒立を教えてもらった時
嬉しくて自主練をしたら
肩を痛めて一年くらいずっと痛かった
(後でまだそれをやる身体ではなかったと知るのですが)
身体の声を聞かず
形を求めて
出来る人になりたいだけで
アーサナをとり
身体を痛めた
その反動で
わたしの方針は
「わたしはやり過ぎてしまう
から
無理せずやろう!!」
に切替わりました笑
無理せず
わたしはまだ身体が整っていないから
マイペースで
と
確かに
頑張り過ぎてしまうわたしには
必要なことでしたが
そのうち
こんなもんか
と
型を狙っていくことを
放棄するようになっていました
「これ以上はやめておこう」
という声が
身体ではなく
頭から来ていた
そんななか先生に
「もっと動けるでしょ」
と言われ
びっくりした
「えっ
わたしの身体
もっと動いて良いの!?」
どれだけ
何に
遠慮していたんだか笑
そっか
もっと動いて良いのかぁ
と
「無理せずに」
の呪縛が少し緩んだ
その後アーサナで
押す場所や
角度を
狙っていくと
全然違う感覚が入ることを実感した
「無理せずに」
と
「無理じゃない出来るよ」
の見極めが難しい
