赤目四十八瀧心中未遂 (文春文庫)/文藝春秋
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プラトンは、人間は生まれながらにして半球であり、愛により二者が結びついて真球になるといった。

シルヴァスタインの絵本「僕を探しに」では、パックマンのような主人公が自分の欠けた部分探す旅をしている。

詩人工藤直子さんの「あいてくて」は

あいたくて

だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
生まれてきた---
そんな気がするのだけれど


と始まる。

ぼくらは生まれながらにして何かが欠落している。そして、人生とはそれを満たすための旅である。

これは人類共通のテーマ、なのだろうか。

本書「赤目四十八瀧心中未遂」

主人公の生島は、日常生活をこなしながら、なんとなくこの欠落を満たしていくことを潔しとしない。

むしろ、この欠落を開き、抉(えぐ)り、晒(さら)す。だから、社会生活を送れるわけがない。堕ちていく。

堕ちて堕ちて堕ちて、尼崎のドヤに流れ着いた。

このドヤに生きる人たちも、生島に似ていた。失われた部分のために怒り、狂い、猛り、満ち、哭き、嗤う。

生島にとって、この環境は本当に心地よかったのだろうか。

全てを失おうとした生島ではあったが、定住すれば人と交わざるを得ず、そうすればお互いに好奇心も出る。

何も知らずに転がり込んだドヤの状況が少しずつ分かってくる。それは、周囲が生島を知ることでもあった。

朝鮮人、売春婦、元売春婦、下っ端やくざ、刺青師、アマ(尼崎のドヤ)の人たちは自分たちと生島の違いを明確に嗅ぎ分けていく。

「ワシらはな、誰かにエグられて生きてきたんや。アンサンみたいに自分でエグったンと違う。アンサンはそんなにエグらんでも、さらさんでも生きられるやろ」


結局、生島はアマで知り合ったアヤコと共にアマを飛び出す

アヤコは、自分の欠けた部分を生島によって埋めようとしたのかもしれない。彼女は、彼女を使って自分を埋めようとする男たちにはたくさん会ってきたろうが、自分を埋めてくれるかもしれない人間に出会ったのは初めてだったに違いない。
実際、彼女は満たされたのだろう。だから彼女は死ななかった。したたかに、過酷な人生を選択したのである。

一方の生島はどうだったか。
彼は、ついに空っぽのままだった。
しかし、アヤコによって突き動かされた衝動が彼を大きく揺さぶったことは間違いない。
また、しゃにむに生きるアマの人たちにそそぐ彼の視線は冷めていない。時には踏みにじられ、時には猛りながら発せられる言葉、言葉の生まれる瞬間に、彼は熱い眼差しを送っている。
そのもっとも人間らしい瞬間に立ち会い、彼は、ようやく何かを満たす旅に出られるのかもしれない。





ストーリーのみならず、漢字、言葉、表現、文章、細かいところまで味わえる作品でした。
おかげで、読み終わってからもう一度、最初から読み返してしまったほどです。

異界に紛れ込む冒険譚のようでもあり、島田荘司さんの「異邦の騎士」
のようなミステリーでもありました。極端に言えば、浦島太郎のようなおとぎ話かもしれません。
さまざまな表情に心躍らせながら、久しぶりに面白く小説を読むことができました。