私は前回のこのブログで

「希望の党」

を巡る風向きが変わり始めたと思うのは私だけだろうか?

と書いた。

それは小池都知事、希望の党代表が

民進党出身者を選別し、排除する、と断言したのをテレビで聞いていて

「ああ、これはナチスドイツがユダヤ人に使った言葉であり、言葉だけでなく血なまぐさい大量虐殺を行なった歴史を連想させる。この小池代表の不用意なワーディングはかなり多くの日本人には生理的に嫌われるな!?」

と直感したのだった。

事実上の選挙戦が始まってからジリジリと私の直感は当たっているような気配が漂い始めた。

選別、排除を嫌った一部の民進党出身者は

  「立憲民主党」

を立ち上げたし、佐賀の原口一博さんのように一旦は希望の党候補になったものの

「やはり自分の信じるものと違う」

と離党し、無所属で立つ人も何人かは続いた。

更には東京都議団「都民ファースト」からも小池都知事の運営方法や希望の党への疑問から

音喜多、内田両議員が「都民ファースト」を離党する事態も現出。

小池都知事のグリーンカラーとは現実はチョット違うぞ!という空気が醸し出されてきた。

今日10月8日の朝日新聞を見ていたらこんな一節が目についた。 

「だが、結党直後に新党に吹いた風は『失速した』(閣僚)との見方が強い。風向きが変わったのは、小池氏が『排除の論理』を口にし、民進党出身者に踏み絵をふませてからだ。
   希望は7日、大分3区の候補者の出馬辞退と、佐賀1区の公認辞退を発表。10日の公示を前に新党の失速は止まらない」

「排除」

という言葉は日常の会話でもあまり、というか滅多に使わない強い言語である。

小池代表は本当に不用意に、うっかり使ってしまったのか?それとも小池代表の本質に潜むものだったのか?

皆さんはどう思うだろうか?